地理と地域一目千本桜と船岡城址公園
大高山神社の桜
制作:千本桜 歌麿
写真撮影:2023年4月
公開日:2023年4月14日
E-mail:tiritotiiki@gmail.com



大高山神社 位置図
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 大河原町金ヶ瀬(かながせ)の大高山神社(おおたかやまじんじゃ)は、知る人ぞ知る隠れた桜名所です。赤い鳥居を包むように咲く桜は優雅で風流。思わずカメラを構えたくなる風景が広がっています。大高山神社は、一目千本桜の西端に位置する穴場スポットですが、国道4号に接しているので気軽に立ち寄れます。当ページは、カメラスポットの赤い鳥居のほかに、神社の社殿や裏山で見かけた桜なども紹介するマニアックなページです。



一目千本桜の西端
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 国道4号の大高山神社交差点から、一目千本桜を撮影しました。ここが桜並木の西端です。一目千本桜は、ここから柴田町東船迫(ひがしふなばさま)まで8.5kmも続きます。左手の建物は葬祭会館メモリアルホール大河原です。



国道4号 大高山神社交差点
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 国道4号から大高山神社を撮影しました。この辺りの国道4号は、1日に3万台の車両が行き交う交通の大動脈。大高山神社の目印は、国道4号からも目につく赤い鳥居です。赤い鳥居を包むように、薄いピンクの桜が咲いています。



駐車スペース
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 大高山神社交差点の角に、車を数台とめられる駐車スペースがあります。県の管理地ですが、便利なので神社の参拝客も利用しています。神社前に広がる街並みは、奥州街道の宿場から発展した金ヶ瀬の街並みです。



黒沢尻用水路 紀功碑
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 駐車スペースの隣に黒沢尻(くろさわじり)用水路事業の功績を記念した紀功碑が建っています。黒沢尻用水路は蔵王連峰から流れ出る松川の水を蔵王町宮(みや)で取水し、蔵王町・大河原町・村田町の水田を潤しています。



水鏡と花筏
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 用水路を覗いて見ると、小さな水たまりがありました。水たまりは水鏡。ちょっとした芸術の世界を展開します。水鏡は桜の枝や花を映し出し、その上に花筏が浮かんでいました。虚像と実像が重なり合う不思議な光景です。



神橋と一ノ鳥居
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 神橋と鳥居の赤が映えます。神橋は何回か架け替えられていますが、現在の橋は昭和38年(1963年)に架設されたものです。一ノ鳥居は木製で、令和元年(2019年)に建て替え。「大高山神社」と記した扁額を掲げています。



表参道入口
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 一ノ鳥居のまわりに20数本の桜が咲いています。植栽されたのは大正時代ですから、すでに古木老木です。薄いピンク色の桜と、真っ赤な鳥居のコラボレーションが絶妙。花見客の記憶に残る、風雅で美しい風景です。



一ノ鳥居と社名碑
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 赤い橋のそばに建つ社名碑には「延喜式内 大高山神社」と刻まれています。延喜式(えんぎしき)は千年以上も昔、平安時代中期に編纂された法典です。大高山神社は、その延喜式の内に記載された歴史の古い神社です。



一ノ鳥居と黒沢尻用水路
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 十数年前、赤い鳥居の下でカモシカに遭遇。お互い固まってニラメッコ。信号の見方も知らないだろうに、国道の近くをウロつくなんて危ないぞ。気をつけるんだよ、カモシカ君。神橋の下を黒沢尻用水路が通っています。



参道の花筵
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 今年の桜は開花が早くて散るのも早かった。4月6日なのに、もう花吹雪です。赤い鳥居の下には花びらが積もり、花筵(はなむしろ)ができていました。それでは、社殿が建つ境内へ向かって、50段の石段を登ります。



南蛮鉄の鳥居
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 階段を登りつめると、二ノ鳥居(南蛮鉄鳥居)が現れます。寛政13年(1802年)に奉納された鉄製の鳥居は、亀裂が入っていたりして、年代の古さが感じられます。正面に見えるのは拝殿、左手は手水舎、右手は社務所です。



鐘楼
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 鐘楼の釣鐘には「前神鐘は大平洋戦争に応召され 昭和41年正月吉日再建」と記されている。おや?「大平洋」って何だ。故意か過失か知らないが「、」が1つ足りないぞ。俺たち昭和生まれは「太平洋」と教わったはずだが。



拝殿
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 大高山神社の創建は敏逹元年(572年)。千四百年以上の歴史を持つ古い神社です。昔、大高山神社は金ヶ瀬村大字平字新開(おおあざたいらあざしんかい)に鎮座していましたが、大正3年(1914年)に現在地へ遷宮されました。



拝殿と本殿
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 右が拝殿、左は本殿です。拝殿は、現在地に遷宮した際に新築したものです。拝殿の向拝に吊るす鰐口は東北最古の鰐口で、国の重要文化財に指定され、社務所に保管されています。鰐口拝観は事前申し込みが必要です。



本殿と拝殿
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 左が本殿、右は拝殿です。本殿は元禄4年(1691年)の建築で、現在地へ遷宮する際に解体移築したものです。蟇股の中に十二支の彫刻を入れ、柱・壁・長押・軒裏などには彩色や文様が施されています。美しい元禄建築です。



神楽殿
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 神楽殿は昭和4年(1929年)に金ヶ瀬村凱旋軍人団の人たちが浄財と労力を出し合って奉納しました。夏と秋の例祭では、神楽殿で堤神楽(つつみかぐら)が奉納されます。堤神楽の「堤」は旧金ヶ瀬村の堤地区に由来します。



裏山の桜・その1
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 境内の裏山を歩いてみました。昔、この裏山はアカマツ林でしたが、今は手作り感のある素朴な公園に変身。早咲きの桜は葉桜になったが、ソメイヨシノやシダレザクラが咲いていました。初夏にはアジサイが咲くだろう。



裏山の桜・その2
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 昔、この裏山がアカマツ林だったころ、イノシシやカモシカはいないが、キジやリスならよく見かけた。子供のころ、友だちがリスを捕まえて檻に飼っていた。蚊が寄って来るので殺虫剤を振ってやったらリスが死んだそうだ。



裏山の桜・その3
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 裏山の東屋。この東屋は地元の有志の方々が浄財を拠出して、平成26年に奉納したものです。私は散歩の途中、この東屋で一休みさせていただくのが楽しみである。品種は分からないが、裏山にはいろいろな桜が咲いている。



裏山の桜・その4
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 裏山には、まだ小ぶりだがシダレザクラも咲いている。昔は「シダレザクラ」と言う人もいれば「スダレザクラ」と言う人もいて悩まされました。「シダレ」か「スダレ」か。漢字で書けば「枝垂れ」だから「シダレ」が正解。



友遊小みち駐車場
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 裏山のなだらかな坂を登ってゆくと、友遊小みち(ゆうゆうこみち)の駐車場に着きます。友遊小みちは大河原町が管理する遊歩道ですが、今回は立ち寄りません。昔、駐車場の辺りは段々畑で桃畑。さらに昔は麦畑でした。



上水道配水池
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 友遊小みち(ゆうゆうこみち)の駐車場から上水道配水池を撮影しました。配水池は立ち入り禁止でチェーンが張ってあります。配水池から俯瞰すると大河原の市街地がはっきり見えるはずですが、入り込めないので残念です。



大河原町の市街地
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 配水池近くの荒地に踏み込んで市街地を撮影しました。手前は金ヶ瀬、後方は大河原の街並みです。2つの街並みは繋がって、町なのに市のように大きな市街地を形成しています。私は、この市街地をスーパータウンと呼びます。



金ヶ瀬と一目千本桜
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 配水池の近くから金ヶ瀬の家並みを俯瞰しました。家並みの背後には、一目千本桜の桜並木が連なっています。大高山神社は、のどかで静かな桜の名所です。この「隠れ名所」を、のんびり散歩するのもいいですよ。