地理と地域
大河原町の住所と大字の考察 改訂版
制作:千本桜 歌麿
設置日:2020.9.6
更新日:2020.10.3
(旧版設置:2006.9.28)
E-mail:tiritotiiki@gmail.com
地図
国土地理院2万5千分の1地形図「大河原」を編集製図

目 次
はじめに
第1章 住所のいろいろ
 1-1 地番区域と住居表示区域
 1-2 大字起番と小字起番
 1-3 接頭辞「大字」の2文字を冠する大字と冠しない大字
 1-4 「大字あり」の小字と「大字なし」の小字
第2章 大河原町の住所と大字の変遷
 2-1 江戸時代の村とその領域
 2-2 明治22年、旧大河原町及び金ヶ瀬村が誕生した当時の大字
 2-3 昭和31年、現行大河原町が誕生した当時の大字
 2-4 平成14年、柴田町・村田町・大河原町合併協議会 を設置した当時の大字
第3章 柴田町・村田町・大河原町合併協議会の「字名の取扱い」
 3-1 「字名の取扱い」に関する決議事項
 3-2 「大河原町字◯◯の名称は字の前に大河原を付す」を精査する
 3-3 「大谷字◯◯の名称は大河原字◯◯に変更する」を精査する
 3-4 「大谷字下川原は大河原大谷字下川原に変更する」を精査する
 3-5 「金ヶ瀬字丑越は大河原字丑越に変更する」を精査する
第4章 柴田市へ引き継ぐための正しい「字名の取扱い」
おわりに


はじめに
 当ページは、柴田町・村田町・大河原町合併協議会が決議した「字名の取扱い」を検証し、大河原町の住所大字を考察するページです。
 世の中が平成の大合併に揺れていたころの話です。柴田町・村田町・大河原町合併協議会は、合併後の自治体名を柴田市とすることで決議し、字名の取扱い協議に入りました。字名の取扱いは合併後の住所を決める重要事項です。それなのに大河原町は、住所と大字の意義や仕組みを理解しないまま、整合性のない大字改編を立案し、協議に臨みました。もし、立案どおりに住所が変更されると、取り返しのつかない事態が発生します。
 しかし、当時の町長や合併協議会の審議委員は住所や大字に無関心で、立案の矛盾点に気が付きませ。残念なことに、合併協議会は矛盾だらけの案を精査もせずに結審してしまったのです。無念なのは町当局の対応です。この案には矛盾がありますから見直してくださいと申し上げておりましたのに、見直した気配がありません。「いや、そうではない、住所や大字のありかたを真剣に考えていました」という人がおられたなら、E-mail:tiritotiiki@gmail.comまでご連絡ください。
 思いがけず柴田・村田・大河原3町の合併話は決裂し、2009年(平成21年)5月をもって合併協議会は休止(実質解散)となり、合併に向けた大字改編も実施されずに終わりました。しかし、大河原町は住所や大字についての関心が希薄です。もし、合併話が再燃した場合、再び深く考えないで大字改編を図る恐れがあります。それを未然に防ぐために当ページを書き残します。


第1章 住所のいろいろ
 住所にはいろいろな形式があります。「龍ケ崎市3710番地」のように、市名の後に地番が直結して地名のない住所もあれば、「男鹿市戸賀戸賀字戸賀」のように同じ地名を3回繰り返す住所もあります。また「登米市迫町佐沼字天神前」のように市名の後に旧町名・大字名・小字名を書く所もあれば、「丸森町字町東」のように町名の後に小字名が直結する所もあります。このように住所形式は様々ですが、ここでは大河原町に関係する住所形式についてのみ述べることにします。

1-1 地番区域と住居表示区域
 住所には、土地の地番を住所の番地に用いた地番区域と、住居表示に関する法律に基づいて実施された住居表示区域があります。柴田町・白石市などは市街地の一部に住居表示を実施していますが、大河原町は実施しておらず、町内はすべて地番区域です。地番区域と住居表示区域では、住所の表し方に違いがあります。下に具体例をあげます。
地番区域の例 大河原町役場:大河原町字新南19番地。地番の後に「番地」と書きます。枝番があれば19番地1のように、番地の後に枝番を書きます。
住居表示区域の例 柴田町役場:柴田町船岡中央二丁目3番45号。街区符号の後に「番」と書き、住居番号の後に「号」と書きます。

1-2 大字起番と小字起番
 地番区域には、大字単位に地番を割りふる「大字起番」と、小字単位に割りふる「小字起番」があります。全国的には大字起番が主流ですが、宮城県は小字起番になっていて、大河原町の住所はすべて小字起番です。
大字起番の例 米沢市関根小学校赤崩分校:米沢市大字赤崩21203番地。広範囲な大字を単位に地番を振るので、番地は5桁に達することもあります。大字名は必須です。
小字起番の例 大河原南小学校:大河原町大谷字鷺沼入27番地1。局地的な小字を単位に地番を振るので、番地は2桁ないし3桁で完結します。大字名・小字名ともに必須です。ただし大字のない小字もあります。

1-3 接頭辞「大字」の2文字を冠する大字と冠しない大字
 大字には、接頭辞「大字」の2文字を冠する大字と冠しない大字があります。現代では接頭辞「大字」を冠しない自治体が増えてきました。村田町や柴田町は今も接頭辞を冠しますが、大河原町は1956年(昭和31年)現行大河原町発足を機に接頭辞「大字」を削除しました。ただし、接頭辞がなくなっても大字であることに変わりはありません。
接頭辞「大字」を冠する例 村田町沼辺地区公民館:村田町大字沼辺字学校前62番地。大字名「沼辺」の前に接頭辞「大字」を冠します。
接頭辞「大字」を冠しない例 大河原町金ヶ瀬公民館:大河原町金ヶ瀬字原88番地。大字名「金ヶ瀬」の前には接頭辞「大字」を冠しません。

1-4 「大字あり」の小字と「大字なし」の小字
 小字起番の住所形式は、自治体+大字+小字+地番が一般的ですが、明治の合併を経験しなかった自治体では大字がない場合もあります。たとえば、亘理町の市街区域は大字がありません。これは、藩政村の小堤村が明治の合併を経験せず、単独で(旧)亘理町になったからです。(旧)亘理町は即ち小堤村のことですから、小堤を大字として残す必要がなかったのです。ところが、大河原町は明治の合併を経験しているのに大字のない小字があります。
 かつて私は、ある町議から「大字名を書く所と書かない所があるのは何故か?」と尋ねられたことがあります。例えば、末広は大字名「大谷」を付して大河原町大谷字末広と書くのに、幸町は大谷を付さずに大河原町字幸町と書きます。丑越は大字名「金ヶ瀬」を付して大河原町金ヶ瀬字丑越と書くのに、隣接する緑町は金ヶ瀬を付さずに大河原町字緑町と書きます。この「大字あり」と「大字なし」に違和感を感じている町民は多いようです。
大字ありの例 大河原駅:大河原町大谷字町向119番地1。住所構成は自治体名+大字名+小字名+地番です。
大字なしの例 大河原幸町郵便局:大河原町字幸町6番地15。住所構成は自治体名+小字名+地番です。
 大河原町は、「大字なし」の小字に「何らかの大字名」を付して柴田市へ引き継ぐことにしました。この場合、「大字なし」の小字が以前に属していた大字への配慮が大切になります。つまり、幸町や錦町の土地が昔は大谷に属していたこと、東新町や緑町の土地が昔は金ヶ瀬に属していたことなどの来歴を大切にすることです。しかし、関係者は来歴を考慮せず、理由にならない理屈をつけて、「とある大字名」を付すことにしました。その大字名は理由にならないことを根拠としているため、整合性が付かず矛盾が発生します。しかし、関係者は矛盾が発生することを予見できませんでした。大河原町の「字名の取扱い」に関する課題は、「大字なし」の小字をどのように整理して柴田市へ送り出すかにかかっています。
 では、「大字あり」の地域に、なぜ「大字なし」が出現し、どのように拡散してきたのか検証してみましょう。


第2章 大河原町の住所と大字の変遷
 大字の誕生から現在に至るまで、順を追って住所と大字の移り変わりを確認します。地図をクリックすると拡大図が表示されます。

2-1 江戸時代の村とその領域
 図1は、江戸時代の村の名称と領域を表しています。現在の大河原町は当時、7村(大谷村・大河原村・小山田村・福田村・平村・堤村・新寺村)に分かれていて、伊達藩の統治下にありました。これらの村は1889年(明治22年)まで存続し、現在も基本的な地域区分として私たちの生活に関わっています。
 この中で町民になじみが薄いのは平村でしょう。平とは現在の金ヶ瀬のことです。江戸時代の平村には金ヶ瀬という名の宿場が置かれ、町場を形成していました。平は村名で金ヶ瀬はその一画を指す町場名ですが、時には混用されることもあったようです。
 平村は、明治の合併で堤村・新寺村と合併して金ヶ瀬村大字平になり、昭和の合併で大河原町と合併して大河原町金ヶ瀬に改められました。公的地名としての平は消えましたが、その領域は金ヶ瀬の名のもとに現在に引き継がれています。

2-2 明治22年、旧大河原町および金ヶ瀬村が誕生した当時の大字
 図2は、旧大河原町および金ヶ瀬村が誕生した1889年(明治22年)当時の大字区分図です。1888年(明治21年)、近代的地方行政を目指す明治政府は市制町村制を公布し、強力に町村合併を進めました。このとき政府は、合併して消滅する旧町村を大字として残すよう訓令を発しています。
 これを受けて1889年(明治22年)、大谷村・大河原村・小山田村・福田村が合併して大河原町が誕生。大河原町は大谷・大河原・小山田・福田の4大字を置きました。同じく、平村・堤村・新寺村が合併して金ヶ瀬村が誕生。金ヶ瀬村は平・堤・新寺の3大字を置きました。住所は自治体名+大字名+小字名+地番で構成し、具体的には大河原町大字大河原字町1番地、金ヶ瀬村大字平字町1番地のように表していました。
 大字は、明治の合併で消滅した藩政村の名称と領域を受け継いでいます。現代の私たちが、それを安易に変更するのはナンセンスです。地域の歴史を解りにくくする恐れがあります。したがって、普通の市町村は住居表示法の施行や字名地番整理の実施などによる必然的な変更を除けば、むやみに大字の名称や境界を変更しないのもです。しかし、大河原町は1956年(昭和31年)以降、周辺の市町村とは異なる方向に進んで行きます。

2-3 昭和31年、現行大河原町が誕生した当時の大字
 図3は、現行大河原町が誕生した1956年(昭和31年)当時の大字区分図です。1956年、大河原町と金ヶ瀬村が合併して現在の大河原町が誕生しました。このとき、次の大字改編がありました。
(1) 大字は接頭辞「大字」の2文字を省いて表す。
(2) 大字平を金ヶ瀬に改める。
(3) 大字大河原を廃止する
以上の3点です。
 以上3点の中で、大字大河原を廃止し、その区域を「大字なし」にしたことが、現在かかえる住所問題の発端となっています。廃止した理由は記録がないので不明ですが、町名が大河原で大字名も大河原、ならば大字大河原は要らないと判断したのでしょう。その結果、どこが本来の大河原なのか分からなくなりました。このような経緯で廃止された大字は、宮城県内に七百数十ある大字の中で、大字大河原と大字白石本郷だけです。他に廃止された大字があっても、廃止理由が異なります。
 関係者は、大河原町内に「大河原」と呼ばれた特定の区域があったことを忘れないでください。本来の大河原(旧大字大河原)の区域を忘れると、大河原以外の区域を指して「そこも大河原だ」と言い出す恐れがあります。
 
「大字なし」の出現で住所の表し方は2つの形式に分かれました。「大字あり」の区域は町名+大字名+小字名+地番で表しますが、「大字なし」の区域は町名+小字名+地番で表します。
【大字ありの例】大河原町金ヶ瀬字町1番地。
【大字なしの例】大河原町字町1番地。(本来は大河原町大河原字町1番地と書くべき)
 ちなみに、角田市や村田町では大字角田、大字村田を廃止しないので、角田市角田字町1番地、村田町大字村田字町1番地と書きます。

2-4 平成14年、柴田町・村田町・大河原町合併協議会 を設置した当時の大字
 図4は、合併協議会を設置した2002年(平成14年)当時の大字区分図です。大字大河原の廃止で発生した「大字なし」のほかに、土地区画整理による字名地番整理で発生した「大字なし」が虫食い状態に拡散しています。「大字あり」と「大字なし」が混在し、他の市町村ではあまり例を見ない繁雑な形になりました。
 大谷地区では積極的に土地区画整理事業が進められ、新市街地を造成してきました。土地を区画整理すると、旧来の字界と地番のままでは不都合が生じます。そこで、新たに字界を線引きし、新たな字名と地番を付すことになります。この字名地番整理で生まれたのが大竜・川瀬町・山崎町・中島町・甲子町・住吉町・幸町・旭町・錦町・広瀬町・高砂町などの新しい小字です。これらは、大字名「大谷」を付さない「大字なし」の小字になりました。
 また、金ヶ瀬地区でも土地区画整理による字名地番整理が行われ、大字名「金ヶ瀬」を付さない緑町・東新町・南平が生まれています。ちなみに、角田市や村田町では、字名地番整理で新しい小字を立てても大字名を付したままなので「大字なし」の小字はありません。この「大字なし」の小字をどのように整理して柴田市へ引き継ぐかが、大河原町の課題です。


第3章 柴田町・村田町・大河原町合併協議会の「字名の取扱い」
 大河原町は、柴田市へ引き継ぐために「字名の取扱い」を下記のように立案し、合併協議会はこれを異議なしとして決議しました。

3-1 「字名の取扱い」に関する決議事項
(a)「大河原町字◯◯」の名称は字の前に「大河原」を付す。
(b) 「大谷字◯◯」の名称は「大河原字◯◯」に変更する。ただし「大谷字下川原及び字中川原」は「大河原大谷字下川原及び字中川原」に変更する。
(c) 「金ヶ瀬字丑越及び字富田」は「大河原字丑越及び字富田」に変更する。
(d) その他は現行のとおりとする。
 以上が決議の概要です。この決議内容は町の広報などで町民に知らされましたが、正しく理解できた人はいないでしょう。字名の取扱いは地理的な事案なのに、地図が添付されていません。文章で「大河原町字◯◯の名称は字の前に大河原を付す」と書かれていても、字◯◯がどこを指し、どのように分布しているのか理解できません。そこで、当ページは合併協議会が決議した内容を図化しながら精査することにしました。地図をクリックすると拡大図が表示されます。 

3-2 「大河原町字◯◯の名称は字の前に大河原を付す」を精査する
  図5をご覧ください。「大字なし」の分布状況を表しています。「大字なし」は本来の大河原(旧大字大河原)のほかに、大谷と金ヶ瀬にも分布しています。それを踏まえ、本来の大河原には大字名「大河原」を、大谷から発生した「大字なし」には大字名「大谷」を、金ヶ瀬から発生した「大字なし」には大字名「金ヶ瀬」を付せば良いのです。これで「大字あり」と「大字なし」の入り組みが解消され、合併に向けての「字名の取扱い」は完了します。他に何もしなくて良いのです。
 しかし、地域の歴史と地理に無頓着なだけでなく、住所の仕組みも知らない関係者は、誤った方向へ進んで行きます。必然性がないのに、大字の境界を変更しはじめたのです。
 まず、合併協議会は「大河原町字◯◯の名称は字の前に大河原を付す」と決議しました。大河原町字◯◯とは「大字なし」の小字を指します。それらは、どの大字にも属していないので、大河原という大字名を付して柴田市へ送り出すということです。しかし、それは大字の来歴を無視した無茶な話ですから、必ず矛盾が発生します。
  図6をご覧ください。関係者は、大谷にあっても金ヶ瀬にあってもおかまいなしに、すべての「大字なし」に大字名「大河原」を付すことにしました。大河原を付すのは現在の町名が大河原だからだと説明しています。
 しかし、これは筋が通りません。現在の町名を理由に大河原を付すのであれば、大河原町全域に付すのが筋です。「大字あり」の大谷・小山田・福田・金ヶ瀬・堤・新寺に対しても大河原を付すべきなのに、それらには付さないといいます。これでは、大谷・小山田・福田・金ヶ瀬・堤・新寺は大河原町ではなかったことになります。他の市町村では、このように矛盾した「字名の取扱い」はしません。この「字名の取扱い」の背後には、何か不純な事情がありそうです。
 柴田市が成立すると、「大字なし」の幸町は柴田市大河原字幸町になり、「大字あり」の大谷字末広は柴田市大谷字末広になりますが、住民はまだ決議内容を理解できないでいます。しかし、合併して柴田市民になり、新しくなった住所を書くとき、「なぜ幸町が大河原で末広が大谷なんだ」と違和感を感じることでしょう。それでは遅いのです。
 もう一度図6をご覧ください。すべての「大字なし」に大河原を付した結果、大河原と大谷が入り乱れてしまいました。大谷の中に大河原が飛び散っています。こんな飛び地だらけの大字は理屈抜きにおかしいでしょう。普通はここで「大河原町字◯◯の名称は字の前に大河原を付す」という案には無理があると気がつき、軌道修正をするはずです。しかし、関係者はそんなふうには考えません。「大河原と大谷が入り組むのは大谷があるからだ、大谷がなくなれば入り組みもなくなる」と考え、次の段階へ進んで行きます。どうやら、大谷を邪魔者扱いしているようです。

3-3 「大谷字◯◯の名称は大河原字◯◯に変更する」を精査する
 次に、合併協議会は「大谷字◯◯の名称は大河原字◯◯に変更する」と決議しました。これは、大谷を消滅させることを意味します。関係者は、大谷の名称と領域が数百年の歴史を今に伝える無形文化財とも知らず、大谷を消滅へ追い込んで行きます。
 本来の大河原(旧大字大河原)の区域を忘れた関係者は、「現在の町名が大河原だから大河原を付す」という理由にならない屁理屈をつけ、大谷の全域と金ヶ瀬の東新町・緑町・南平を大河原に取り込んでしまいました。それを図化したのが図7です。大字が発足した当時の図2と見比べてください。大谷を丸呑みし、金ヶ瀬の一部を喰いちぎり、大きな大河原が出現しました。これは歴史をねじまげ、地域を破壊する悪業です。
 どうやら、関係者は住所から大谷を消したい一心で、正常な思考が働かない状況に陥っているようです。なぜ、それほどに大谷を消したいのか。
 関係者は、大谷を大河原に変更する理由として次の2つをあげています。
(1) 大河原と大谷の市街地が入り組んでいる。
(2) 大谷地区の住民から住所変更の要望があった。
 しかし、2つとも大谷を大河原に変更する理由にはなりません。本来の大河原と大谷は白石川で分断されていますから、双方の市街地が入り組むことはありません。入り組んでいるのは大谷と「大字なし」です。その「大字なし」に大字名「大谷」を付せば入り組みは解消するのに、無理やり大河原を付した上で、大河原と大谷が入り組んでいるというのは、こじつけです。
 また、住民の要望にこたえて大谷を大河原に変更するというのも、辻褄の合わない話です。住所形式の変更要望は、合併とは無関係にだいぶ以前から出ています。しかし、それは大河原町であることを前提としたもので、柴田市になることを想定していません。「大字あり」と「大字なし」が混在する大谷北部では、住所形式に違和感を感じる住民が多く、「大字あり」を「大字なし」にして欲しいとの声があがっていました。たとえば、「大河原町大谷字末広」から大谷を削除して「大河原町字末広」にして欲しいという声です。
 大谷を不要と考える町議Aは、住所が「大河原町大谷字末広」なのに「大河原町末広」と書いて平気です。大谷がなくても郵便物が届くから大谷は要らないと確信しているようです。しかし、それは視野の狭い考えです。町内には大谷字山崎、福田字山崎のように同名の小字がたくさんあります。「北」という小字は、小山田・堤・新寺の3ヶ所にあります。それらは大字名が異なるので判別できる仕組みです。大字名を消したら住所が成り立ちません。大字名「大谷」を付さなければ住所として成り立たない小字があるのに、彼は審議会の席上で矛盾に満ちた大字改編案に「異議なし!」と発言して決議させています。
 思うに、関係者は住所から大谷を削除して欲しいという住民要望に苦慮していたが、対処できないまま先送りしていた。そこへ合併話が持ちあがった。これ幸いと、合併の混乱にまぎれ、安直に大谷を消そうと考えたのではないですか。後先考えずに大谷を大河原に変更した結果、大河原字下川原が2ヶ所に出現しました。同じように大河原字中川原も2ヶ所に出現しています。住所が重複したのです。関係者は住所の重複を回避しなければなりません。

3-4 「大谷字下川原は大河原大谷字下川原に変更する」を精査する
 そして、合併協議会は「大谷字下川原及び字中川原」は「大河原大谷字下川原及び字中川原」に変更すると決議しました。図8をご覧ください。大字なし(旧大字大河原)と大谷の双方に、下川原という小字があります。現在は大字なしの下川原を単に「字下川原」と書き、大谷の下川原を「大谷字下川原」と書くことで区別しています。
 しかし、後先考えずに大字改編をした結果、大字なし(旧大字大河原)の下川原と大谷の下川原は、どちらも大河原字下川原になり、区別がつかなくなりました。大河原の中に下川原が2つあるのは許されず、小字名を変更しなければなりません。中川原についても同様です。ところが、関係者は小字名を変えずに大字名を変えることで重複を回避しました。どうやら、かなり勉強不足のようです。
 関係者は、大字なし(旧大字大河原)の下川原・中川原に大字名「大河原」を付し、大谷の下川原・中川原には大字名「大河原大谷」を付すことで住所の重複回避を図りました。過去に「大河原大谷」という大字はありませんでしたが、新しく「大河原大谷」という名の大字を創設すると決議したのです。それを図化したのが図9です。
 「大河原大谷」は極端に小さく、まわりはすべて大河原に囲まれています。しかも2つに分離しています。北の「大河原大谷」に属する小字は下川原1つだけです。南の「大河原大谷」に属する小字も中川原1つだけです。これでは大字の意味がありません。こんな大字の体を成さない大字を新設する人は「いかれぽんち」だと思います。たぶん、他の市町村の住所や大字を観察したことがないのでしょう。観察し学習していたなら、違った方法で住所の重複を回避したはずです。これが実施されると、またまた新たな問題が発生します。
 図10は合併協議会が結審した「大河原大谷字下川原」を表しています。まわりはすべて大字名「大河原」ですが、下川原だけ大字名「大河原大谷」です。この大字改編は合併話が決裂したために実施されませんでしたが、合併していたなら大谷の下川原住民から大ブーイングが起きていたでしょう。
 大谷の中川原は無人ですが、下川原には約150人の住民がいます。住民は住所を書く段になって、すぐに気がつくはずです。「まわりの末広・保料前・戸ノ内前・西原前は大河原なのに、なぜ下川原だけ大河原大谷なんだ」、「まわりの郵便番号は989-○○○○なのに、なぜ下川原だけ989-××××なんだ」、「住所の表記を変えてくれ」。こんな声があがるのは必至です。でも後の祭りです。住所の表記は簡単には変えられず、住民は違和感を感じながら生活することになるでしょう。
 大河原町は昭和の合併時に大字大河原を廃止し、その区域を「大字なし」にしました。その後、土地区画整理による字名地番整理で、大谷・金ヶ瀬にも「大字なし」が発生しています。住民は「大字あり」と「大字なし」の混在に違和感を感じ、住所の表記変更を要望しています。この住民要望に関係者は苦慮したはずです。しかし平成の合併時に、またしても住民要望の火種になるような大字改編を決議したのですから、全然、学習していなかったのですね。
 支離滅裂な大字改編はさらに続きます。「金ヶ瀬字丑越・字富田」を「大河原字丑越・字富田」に変更するというのです。

3-5 「金ヶ瀬字丑越は大河原字丑越に変更する」を精査する
そして、合併協議会は「金ヶ瀬字丑越及び字富田」は「大河原字丑越及び字富田」に変更すると決議しました。審議会の席上で町議Bは「金ヶ瀬の丑越・富田は、まわりを大河原に囲まれているから大河原へ変更して欲しい」と発言しています。これは大きな勘違いです。図11をご覧ください。丑越・富田の三方を囲んでいるのは大河原ではなく「大字なし」です。
 昭和40年代後半、既成宅地の丑越・富田周辺に広がる農地は、金ヶ瀬字中道・字板ノ前・字下川原と呼ばれていました。その土地が区画整理され、字名地番整理が実施されて「大字なし」の東新町・緑町・南平に生まれ変わりました。ところが、既成宅地の丑越・富田は「大字あり」のままです。丑越・富田の住民は、「大字あり」と「大字なし」の混在に違和感を感じ、住所から大字名「金ヶ瀬」を削除して「大字なし」にして欲しいと要望しています。
 しかし、この要望は合併とは無関係にだいぶ以前から出されていたもので、大河原町であることを前提とし、柴田市になることを想定していません。大河原町では「大字あり」と「大字なし」の選択肢がありましたが、柴田市へ引き継ぐための選択肢は「大字あり」だけです。関係者は、そのことを住民に説明していないでしょう。
 丑越地区の住所問題は、「大字なし」の東新町・緑町・南平に大字名「金ヶ瀬」を付して「大字あり」にすれば解消します。丑越・富田も大字名「金ヶ瀬」を付したままで良いのです。しかし、町議Bは金ヶ瀬を削除しなければ解消しないと思い込んでいます。その思い込みが「「金ヶ瀬の丑越・富田は、まわりを大河原に囲まれているから大河原へ変更して欲しい」という発言に繋がっています。
 図12は合併協議会の最終決議を図化したものです。金ヶ瀬の丑越・富田および東新町・緑町・南平が大河原に組み込まれ、大谷は消滅し、「大河原大谷」という得体の知れない大字が新設されました。このように整合性のない大字改編が立案され決議に至った原因は、住所や大字に対する関係者の認識不足にあります。大字は藩政村のあかしです。必然性がないのに大字界を変更するのは歴史改ざんに当たります。「字名の取扱い」は慎重に行って欲しいものです。


第4章 柴田市へ引き継ぐための正しい「字名の取扱い」
 柴田市へ引き継ぐ住所形式は「柴田市+大字名+小字名+地番」が基本となります。しかし、大河原町には「大字なし」の小字があります。柴田市へ引き継ぐために大河原町がすべきことはただ1つ、「大字なし」の小字に大字名を付すことです。これについては、「大谷は要らない、金ヶ瀬は要らない、大谷・金ヶ瀬より大河原の方が好感がもてる」といった私情を挟むのは御法度で、大字の来歴に基づいて対処するのが鉄則です。
 旧大字大河原の廃止で「大字なし」になった区域には、大字名「大河原」を付してください。大谷から発生した「大字なし」には、大字名「大谷」を付してください。金ヶ瀬から発生した「大字なし」には、大字名「金ヶ瀬」を付してください。「大字あり」の区域は従来通りの大字名を付したままにしてください。これで柴田市へ引き継ぐための「字名の取扱い」は完了です。
 その結果は図13の大字区分になります。廃止されて消えていた大字「大河原」を復活させることで、大河原という地名を柴田市に継承することができます。また、大谷・金ヶ瀬も本来の姿に戻ることができます。そして、大字「大河原大谷」という得体の知れない大字を新設する必要もなくなります。この大字区分で柴田市へ送り出したいものです。
 本来の大河原(旧大字大河原)に属する小字
大谷地・大巻・小島・千塚前・嶋脇・北嶋脇・中ノ水門・火崎 ・橋本・沼・沼前・八乙女・袖谷地・加砂木・関ノ内・南関ノ内・西・土手崎・東青川・新青川・新桜町・西桜町・東桜町・南桜町・海道西・海道東・町・町西・西町・西浦・新東・東・新南・南・南前・南海道下・荒町・上川原・中川原・下川原・東原町・南原町・新古川・古川
以上の小字には、柴田市大河原字西桜町・柴田市大河原字新南のように大字名「大河原」を付して柴田市へ引き継ぎましょう。
 大谷から発生した「大字なし」の小字
高砂町・旭町・幸町・錦町・広瀬町・山崎町・住吉町・中島町・甲子町・川瀬町・大竜・大芝・新上谷前・上の倉・中の倉・新川前・沖端・上舘前
以上の小字には、柴田市大谷字高砂町・柴田市大谷字錦町のように大字名「大谷」を付して柴田市へ引き継ぎましょう。
 金ヶ瀬から発生した「大字なし」の小字
緑町・東新町・南平
以上の小字には、柴田市金ヶ瀬字緑町・柴田市金ヶ瀬字東新町のように大字名「金ヶ瀬」を付して柴田市へ引き継ぎましょう。

 なお、合併協議が決裂(実質解散)した後にも、「大字あり」から「大字なし」に転じた区域があります。2013年(平成25年)、大河原町金ヶ瀬字町裏・字町尻・字薬師・字広表などに跨がる一画は、字名地番整理により大字名「金ヶ瀬」を付さない大河原町字広表になりました。これを、字名の取扱い関係者の論理にあてはめると、広表は「大字なし」だから、新たに大字名「大河原」を付すますよ、ということになります。広表は金ヶ瀬中学校や金ヶ瀬公民館の付近にまで広がっています。金ヶ瀬中学校や金ヶ瀬公民館の付近を指して「そこは金ヶ瀬ではない、大河原だ」というのですから、歴史無視・地域無視も甚だしい。このように浅はかな論理に基づいた「字名の取扱い」を許してはいけません。

おわりに
 柴田町・村田町・大河原町合併協議会が決議した大河原町に関する「字名の取扱い」は矛盾に満ちています。これが実施されたら取り返しのつかないことになります。しかし、当時の町長をはじめ、立案者や審議委員は住所や大字には無関心で、案を精査する意欲も責任感もなかったようです。残念なことに合併協議会は矛盾だらけの案を精査もせずに結審してしまったのです。無念なのは町当局の対応です。この案には矛盾がありますから見直してくださいと、二度も町長に申し上げておりましたのに、見直した気配がありません。
 無念が怒りに変わるのは、関係者のひとりが発した「町民は何も知らないでいるのに、なぜ騒ぎ立てるのか」のひとことです。この言葉は、今も私の脳裏を反復する。精査するどころか、落ち度を隠そうとする。こんな無責任な大河原町でも、「住居表示に関する法律に基づく住居表示」を実施するとなれば抜かりなく対処できるに違いない。「住居表示に関する法律に基づく住居表示」にはマニュアルがあり、関係者はそれに従えばいいからである。ところが、柴田市へ引き継ぐ「字名の取扱い」にはマニュアルがない。国や県の強力な指導がなく、スペシャリストもいない。そうなると大河原町は無力です。
 しかし、国・県の指導を超えて大切なもの、それは郷土への思いではないですか。「字名の取扱い」については私が矛盾点を明確に指摘しているのですから、郷土への思いを込めて1日かけて精査すれば見直しできたはずです。大字の名称と境界は、藩政村の時代を含めれば数百年にわたって受け継がれてきたものです。今後も何百年にわたって引き継がれて行くのでしょう。関係者が1日の時間を惜しんで精査を怠ったために、過去と未来を分断するような大字変更を行い、歴史を台無しにして後世に引き継ぐ姿に郷土愛は感じられません。
 図らずも柴田・村田・大河原3町の合併話は決裂し、2009年(平成21年)5月をもって合併協議会は休止(実質解散)となり、合併に向けた大字改編も実施されずに終わりました。しかし、合併話はいつか再燃するかも知れません。枠組みを変え、仙南地域全体が合併して仙南市になることも考えられます。その時は、自治体名の下に続く住所地名のあり方も変わってくるでしょう。3町合併「柴田市」の場合、自治体名の下に続くのは大字名でした。しかし、広域2市7町合併「仙南市」の場合は、自治体名の下に旧市町名が続くものと思われます。いずれにしても、これから後に住所行政にたずさわる人は、地域の歴史と地理を大切にし、決して先の関係者のまねをしないでください。これが私からの大河原町への遺言です。

地理と地域>大河原町の住所と大字の考察 改訂版