地理と地域旅行記
遠い日のカンバス 下北
制作:千本桜 歌麿
設置日:2013.5.6
更新日:2016.5.1
E-mail:tiritotiiki@gmail.com
下北地図 仏ヶ浦写真
 下北(しもきた)の奥地の人々はトロッコに乗って町に出るという。ヒバの原生林に包まれたその地方へ、少年時代の私は思いを馳せた。そして十九の夏、川内(かわうち)で安部城(あべしろ)ゆきのバスに乗る。座席が破れて中味がはみ出た、ひどい中古(ちゅうぶる)。都会なら解体場ゆきだ。銀杏木(ぎんなんぼく)でみんな降りたかと思ったら、お爺さんが一人まだ乗っている。走れ、走れ、オンボロバスよ。ひと気のない安部城(あべしろ)の道端に、「はい、終点です」と降ろされた。
 そのお爺さんは大きな風呂敷包みを背負った担ぎ屋さんで、湯野川(ゆのかわ)まで行くという。それなら畑(はた)まで一緒だね。恐山(おそれざん)の山裾が迫る道を一時間半ほど歩いて、わずかな水田の広がる平地に出た。かつての狩猟者の集団、マタギの畑(はた)集落だ。幸せ薄い杉戸八重はここで生まれた。水上勉の飢餓海峡に登場する彼女の親がそうであるように、今は林業の労賃で暮らす小さな山あいの集落である。
 旅のつい先年まで、川内(かわうち)の市街へ通じる道もなく森林軌道のトロッコだけが頼りだった野平(のだい)集落は、深い谷間を畑(はた)から三里、突然ひらけた盆地の中だ。雨の中を歩いてきたから、すっかりびしょぬれ。開拓集落とひと目でわかる直線道路に腰を下ろして昼めしだ。野辺地(のへじ)発一番列車に乗った時から、下北(しもきた)を灰色に染めて降る雨が雲のような霧になり、見る見るちぎれて東へ流れ、そのあとを西空はゆるやかに明らんだ。
 斧の刃の地形が傾斜を変えて、平舘海峡(たいらだてかいきょう)めがけて突っ込んだ。みたまえ、この牛滝(うしたき)の空の青さを。夏の終わりの強い光がモノクロームの下北(しもきた)を色つきに変えた。海と山とに挟まれて窒息しそうな小さな村に酸素があふれ、土も木も板張りの家々もみな自分の色に輝いた。ウシタキ、いい響きだ。この眩しさをどう伝えよう。脳天を割り、青空は血管を伝わって体の隅々に達しているのに、表わす手段を持たない切なさ。かけ出して坂を登れば、澄んだ海底に不思議な白い岩の模様が見えた。仏ヶ浦(ほとけがうら)へと続く凝灰岩だろうか。
 確かにその日の仏ヶ浦(ほとけがうら)は美しかった。風化して、流れるような襞を刻んだ白い奇岩が、切り立つ断崖の下で咲いている。一ツ仏、蓮華岩、五百羅漢に如来の首。岩には名前がついている。音もなく凪いで、海は光って色がなくなる。静寂な世界だ。せめて今夜はこの浜で寝よう。
 風が吹いた。唸りながらテントをゆさぶる。あたりは真っ暗。夜のせいだけじゃない。仏ヶ浦(ほとけがうら)は死者の流れ着く浜・・・。余計なことを思いだしてしまった。怖い、逃げるんだ! 荷物を丸めて山道をよじ登る。振り向いてはいけない。浜を這い出た一ツ仏や如来の首が昼の化粧を振り捨てて、白い妖婆となって追いかけてくる。月の無い夜は真っ暗です。息を殺して、うねうねの道を福浦(ふくうら)へ急いだ。
 福浦(ふくうら)の小さな旅館。晩御飯はカレーライスに福神漬。なんだか、自分の家の夕飯と変わらない。まあ、たまには旅館でカレーライスもいいじゃない。だけども問題は次の日の雨。暴風雨、風が強くて歩けない。四つん這いで道につかまっていたらトラックの警笛。遠慮はいらない、トラックにヒッチハイクだ。佐井(さい)のあたりで風は止んだが、奥戸(おこっぺ)、大間(おおま)、蛇浦(へびうら)、易国間(いこくま)、雨、雨、雨。下風呂(しもふろ)で遂に行き止り。山津波が温泉の湧く下風呂(しもふろ)集落を襲った。生の木、鶏小屋、トタン板。土砂に押されて落ちてくる。鶏は金網の中で羽ばたいて、泥の海へ沈んで行きます。
 遠い日の旅なのに、牛滝(うしたき)の眩しさは消えない。否、牛滝(うしたき)での切なさが消えないのだ。感動は体の隅々に達しているのに、その感動を人に伝える術を持たない切なさ。今は得意分野の地図を描き、地図を通して感動を伝えられたらいいなと思っています。

(写真:青森県下北半島仏ヶ浦 地図:鉛筆ぼかし)

旅行:1968年9月
執筆:1983年10月
改訂:2016年5月
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