男7人 鶴岡・村上の旅
地理と地域旅行記
男7人 鶴岡・村上の旅
制作:千本桜 歌麿
設置日:2015.10.18
更新日:2016.6.28
E-mail:tiritotiiki@gmail.com
旅行コース
 同じ町内に住む、昭和18年から27年生まれの「ちょっと疲れた男たち」7人で旅行しました。旅行コースは左に掲載した地図の通りです。大河原を出発して、羽黒山、庄内観光物産館、善宝寺、加茂水族館、由良海岸を観光。あつみ温泉の萬国屋に宿泊。翌日は鼠ケ関、笹川流れ、岩船港鮮魚センターなどを観光して大河原に戻る1泊2日のドライブ旅行です。
出発
 同じメンバーで1泊2日の旅をするのは、これが3度目だろうか。車はSYさんが購入したばかりの新車。運転はプロのタクシードライバーSHさん。準備万端ととのって、いざ出発! だが、いまにも降り出しそうなあいにくの空模様。車は大河原盆地のど真ん中、広域農道「さくらロード」を走行中。この先、村田インターから山形自動車道に乗って山形県へ向います。
道の駅「むらやま」
 川端康成の「雪国」をパクるわけではないけれど、県境の長いトンネルを抜けると雨降りだった。山形自動車道と東北中央自動車道を乗り継いで東根インターへ。そこから国道13号を北へ走って道の駅「むらやま」に到着しました。ちょっと店内をぶらついたあと記念撮影。雨のため、予定していた最上川の船下りを中止。羽黒山へ直行することとなった。
羽黒山
 車は最上川に沿って国道47号を走行。清川集落で左折し、立谷沢川沿いの県道45号線を通って羽黒山有料道路に進入した。羽黒山の標高は414m。山頂には月山、羽黒山、湯殿山の三神を合祭した三神合祭殿をはじめ、レストハウス、歴史博物館、参集殿などの建物があります。左の絵図に示した赤破線の参拝コースは、私が歩いたルートを表しています。
羽黒山駐車場とレストハウス
 羽黒山有料道路を通って羽黒山駐車場へ到着。写真中央の建物は羽黒山レストハウスです。観光客はこの駐車場を拠点にして境内に向いますが、実はここは裏参道です。裏口から入ることになりますが、車社会の現代では駐車場が拠点になるのは当然です。「参拝道」と書かれた案内矢印に従って進むと、静かな樹林の中に蜂子皇子(はちこのおうじ)の墓があります。
蜂子皇子の墓
 蜂子皇子の父である崇峻天皇は蘇我馬子に暗殺された。皇子は馬子から逃れ丹後(京都府)の由良から船で北へと向い、鶴岡市の由良にたどり着いたという。皇子はこのあと三本足の烏に導かれて羽黒山に登り、出羽三山を開いたと言われています。蜂子皇子の墓は東北地方で唯一の皇族の墓で、宮内庁が管理しています。
手水舍
 表参道の手水舎より、こちらの方が立派な造りです。手水の作法。
1・ひしゃくに水をくみ左、右と手に水を掛けて清めます。
2・次にひしゃくの水を手のひらに受けて口を漱ぎます。
3・次にひしゃくをもとの位置に直します。(ひしゃくに直接口をつけないで下さい)。
鳥居
 手水舍の先に赤い大きな鳥居があります。鳥居をくぐると、そこは羽黒山の心臓部。鐘楼・参集殿・鏡池・本殿(三神合祭殿)などが見えてきます。
鐘楼と参集殿
 鐘楼は切妻造りの萱葺き屋根で、小さいけれど豪壮な建物です。羽黒山では国宝五重塔に次ぐ古い建物で、国の重要文化財に指定されています。鐘は建治元年(1275年)の銘があり、古鐘では奈良東大寺、高野山金剛峰寺の鐘に次いで古く、しかも大きいそうです。鐘楼の背後に見える大きな建物は参集殿です。
鏡池のモリアオガエル
 本殿(三神合祭殿)の前にある鏡池は、池自体が御神体なのだとか。標高414mの羽黒山山頂に、いつも水を湛えているのは不思議で神秘的。池に張り出た木の枝に、モリアオガエルがよじのぼって産卵していました。
表参道の石段
 裏参道から入ってきたのが、どうも気にかかる。表参道から登ってくると羽黒山頂の境内はどんなふうに見えるのだろうか、というわけで表参道にきてみました。杉木立のなか、表参道を下りていく人の姿が見えます。全長約1.7km、2,446段の長い石段を下りて宿坊集落の手向(とうげ)まで歩くのだろうか。
表参道の鳥居
 もと江戸講中より寄進された青銅の鳥居があったが戦争で供出された跡に庄内の生徒や学童の寄付によって建立されたものである。鳥居の手前の坂を十五童坂といい、坂の左に、一山の貫主の住んだ執行寺跡、右に本社のかぎを取り扱った鍮取(かいどり)役という一生不犯の清僧修験の住んだ能林院が在った。(出羽三山神社HPより)
厳島神社
 表参道から鳥居をくぐって山頂境内に入ると、似たような社殿が2つ並んで建っている。左は厳島神社、右は蜂子神社です。厳島神社は、左右の柱にみごとな龍の彫刻が施されています。
蜂子神社
 出羽三山御開祖・蜂子皇子は、推古天皇の御代に出羽三山を開き、五穀の種子を出羽の国に伝え、人々に稼檣の道を教え、産業を興し、治病の法を教え、人々のあらゆる苦悩を救い給うなど、幾多の功徳を残された。民の全ての苦悩を除くという事から能除太子と称され、蜂子神社の御祭神として祀られている。(出羽三山神社HPより)
三神合祭殿
 蜂子神社を過ぎると、あざやかな朱塗りが目を引く三神合祭殿(さんじんごうさいでん)が姿を現す。社殿は高さ28m、桁行24.2m、梁間17mで主に杉材を使用し、内部は総朱塗りで、屋根の厚さ2.1mにおよぶ萱葺きの豪壮な建物です。平成12年、国の重要文化財に指定されました。
三神合祭殿 正面
 三神合祭殿は一般神社建築とは異なり、拝殿と本殿とが一棟の内に造られています。また湯殿山・月山・羽黒山の三神が合祀されているので、合祭殿造りともいわれる独特の社殿です。しかし社号額には羽黒山がなく、湯殿山神社・月山神社・出羽神社と書いてある。出羽神社とは羽黒山の宗教法人名なのだろうか。
三神合祭殿・参集殿・鐘楼
 背後にそびえる大きな茅葺き屋根が国指定重要文化財の三神合祭殿、その隣の銅板葺き屋根が参集殿、手前の小さな茅葺き屋根が国指定重要文化財の鐘楼です。
霊祭殿
 出羽三山は往古より祖霊安鎮のお山とされ、深い信仰をあつめており、ご先祖の御霊を供養する風習が現在も盛んに行われている。単層入母屋千鳥破風五間社造りの本殿に次ぐ、荘厳な建物で昭和58年に再建されたものである。(出羽三山神社HPより引用)
東照社
 明治時代に東照宮は東照社と改められ、現在の社殿(3間5間)は昭和55年(1980)に解体復元したものである。天宥別当の勧請のねらいは、東照権現を山中に祀ることによって山威を高め、この頃緊張の度を加えつつあった庄内藩との関係を円滑なものにすることにあった。(出羽三山神社HPより引用)
末社
 出羽三山には百一末社と称し、羽黒を始め月山、湯殿山の山嶺、または幽谷に多数の末社が散在している。写真の末社は左から大雷神社、健角身神社、稲荷神社、大山祗神社、白山神社、思兼神社、八坂神社。(出羽三山神社HPより引用)
出羽三山歴史博物館
 出羽三山歴史博物館は、大正4年出羽三山神社の宝物館として設立。昭和27年博物館法の指定を受け「出羽三山歴史博物館」と改称し、昭和45年現在の建物が竣工した。収蔵する多くは神仏習合の修験道時代の品である。(出羽三山神社HPより引用)
山伏
 出羽三山歴史博物館前を歩いて駐車場に戻る途中、山伏さんに出合いました。山内を案内してくれるガイドさんなのでしょう。立ち止まって気軽に撮影に応じてくれました。
おみやげ店と羽黒山駐車場
 羽黒山観光の締めくくりは、羽黒山駐車場に面したおみやげ店での買物です。私は線香を買って羽黒山を後にしました。昼食は鶴岡公園近くの「水の食卓 百けん濠」を予定。鶴岡市内へ向いました。
庄内観光物産館
 「水の食卓 百けん濠」での昼食予定を急遽変更。都市景観大賞に輝く鶴岡中心街を通り抜け、国道7号沿道の庄内観光物産館にやってきました。
庄内観光物産館で昼食
 庄内観光物産館で各自、好みのメニューを注文して昼食。庄内観光物産館は大規模なおみやげ店なので品揃えは豊富です。私は古くからの鶴岡銘菓「古鏡」を買いました。次は大山の善宝寺へ向います。善宝寺は平成2年(1990年)頃に人面魚が話題になり、大ブームになったお寺です。
善宝寺
 平成2年ごろ善宝寺の人面魚が大ブームになったが、今は加茂水族館のクラゲが大ブーム。観光客はクラゲ、クラゲと言って加茂水族館へ向かうが、ブームは儚いものである。人面魚ブームが去った現在、善宝寺は思いのほか静かだった。でも、善宝寺は大きなお寺で、境内には五重塔など貴重な建築物が数多くある。もっと多くの人に来て欲しい観光スポットの1つです。
善宝寺 南駐車場
 庄内観光物産館で昼食を終え、海の守護神・龍神の寺として知られる善宝寺にやってきました。初めて善宝寺を訪れる人は、予想以上に大きな寺であることに驚くだろう。そして、総門・五重塔・山門などに施された彫刻の見事さに感銘を覚えるに違いない。南駐車場に車をとめて境内に入ります。
善宝寺 総門
 善宝寺は駐車料金・拝観料が無料です。境内の拝観は自由ですが、無断で建物の内部に入ることはできません。写真はみごとな彫刻が施された総門です。その後方に山門、そして本堂へ続く石段が写っています。総門は安政3年(1856年)に建てられました。
善宝寺 五重塔
 総門をくぐった左手に、美しい彫刻が施された五重塔が建っています。建立は明治26年(1893年)、名棟梁高橋兼吉の作です。高橋兼吉は致道博物館に移築された旧西田川郡役所・旧鶴岡警察署などの疑洋風建築を設計したことで知られていますが、彼が生涯で最も力を注いだのは、この善宝寺の五重塔だと伝えられています。
善宝寺 五百羅漢堂
 総門をくぐった右手には五百羅漢堂が建っている。善宝寺は海の守護・龍神様のお寺として北海道、東北、北陸をはじめ全国に多くの信者を有し、特に漁業関係者より絶大な信頼を頂いている大祈祷道場です。五百羅漢堂は北海道松前の信者から寄進され、安政2年(1855年)落成し、500体の羅漢像が安置されています。
善宝寺 本堂
 総門と山門、2つの門をくぐって石段を登ると、正面に本堂、左に曹洞宗専門僧堂、右には信徒会館が建っています。小学生の一団がやってきて、静かだった境内がにぎやかになりました。本堂は昭和35年(1960年)落慶、本尊は薬師如来像。
善宝寺 龍王殿
 本堂と曹洞宗専門僧堂の間の狭い空間を進で行くと、鮮やかに彩色された龍王殿が石段の上に姿を現す。それは突然目に飛び込んでくるので、異次元の世界に入り込んだような驚きを感じる。龍王殿は天保4年(1833年)に再建され、守護神大龍王・大龍女を祀っています。
善宝寺 山門
 本堂の参拝を済ませてメンバーたちが石段を下りて行きます。この角度から眺めると大寺の雰囲気がただよって来るようです。正面に見えるのは山門で、みごとな彫刻が施されています。山門は文久2年(1862年)の再建で、韋駄天像と毘沙門天像が置かれています。
善宝寺 山門と総門
 手前が山門で奥に見えるのが総門です。それにしても善宝寺の彫刻はみごとです。またいつか、ゆっくり見物したいと思う。善宝寺のあとは湯野浜温泉を経由して加茂水族館へ向います。
加茂水族館
 善宝寺をあとに、湯野浜温泉の海岸を経由して加茂水族館に着きました。加茂水族館は平成26年(2014年)に新装開館。クラゲの展示で大人気。私もこの1年間で3度目の来館。旧館時代から通算すると10回ぐらい訪れている。かと言って、とりたてて水族館が好きな訳ではない。加茂や由良の海岸風景が好きなのだ。
加茂水族館のクラゲ
 加茂水族館は山形県唯一の水族館にして、常時30種類以上のクラゲを展示し、その飼育・展示の種類ともに世界一の数を誇る。いつ来ても駐車場は混み合い、展示室内も人ごみでごった返しています。
加茂水族館のカモメの餌付け
 加茂水族館では時間を決めて「クラゲの給餌解説」「アシカショー」「ウミネコの餌付け」のショーを行っています。写真の灯台は日本海に突き出た荒崎に建つ荒崎灯台です。
加茂水族館のアシカショー
 人気のアトラクション「アシカショー」を2階から見おろしています。でも1年間に3回も見物するとなると、正直なところ興味がなくなります。次は油戸(あぶらと)の集落を通って、白山島のある由良海岸へ行きます。
由良 白山島
 加茂水族館をあとにして由良に到着です。45年前、高台に建つ国民宿舎「由良荘」から眺めたみごとな夕日がきっかけで、以来ずつと由良ファンです。写真は白山橋と白山島を写しています。島の頂上近くに見える建物は白山神社。島の海岸べりに遊歩道が完備しています。この島を地元の人は御島(おしま)と呼びます。
由良 八乙女像
 今より1400年前、出羽三山を開いた蜂子皇子が都を追われ丹後の由良から船で北上していたところ、この地の八乙女浦の洞窟の上で乙女たちが笛の音に舞いながら皇子を迎えたと伝えられている。そして皇子は、三本足の烏に導かれ羽黒山に赴いたという。伝説ですが、由良の八乙女浦洞窟と羽黒山の鏡池はつながっているそうです。
由良海岸
 東北の江ノ島といわれる由良海岸の白山島をバックに記念撮影。ちなみに、由良漁港は山形県最大の漁港です。このあと国道7号おけさおばこラインを南下して、あつみ温泉へ向います。途中、三瀬(さんぜ)・小波渡(こばと)・堅苔沢(かたのりざわ)・五十川(いらがわ)などの集落を通過しますが、どれも個性的な地名で海岸風景も美しい。
あつみ温泉
 窓の右手に日本海を眺めながら、旧温海町の中心市街地「温海」に到着。温海には旧温海町役場やあつみ温泉駅があるが、今晩の宿泊地「あつみ温泉」は、ここから2.5kmほど内陸に入った山の中。旧来は「温海温泉」と表記していましたが、難読のため「あつみ温泉」と表すことになったようです。ただし、住所の地名は従来のまま漢字で「温海」と書きます。
あつみ温泉 萬国屋ロビー
 庄内地方の温泉地では、あつみ温泉と湯野浜温泉が有名。あつみ温泉は湯野浜温泉に押され気味だが、温海川沿いの桜並木、朝市、ばら園などで、それなりに頑張っている様子が見えます。あつみ温泉には名旅館が2つ「萬国屋」と「たちばなや」がありますが、今夜は庄内随一の規模を誇る萬国屋に泊まります。萬国屋の規模は、宮城県を例にとると秋保温泉のニュー水戸屋、岩沼屋と同等でしょう。
萬国屋 客室
 部屋に入って安着祝い。無事到着を祝って乾杯し雑談に花を咲かせたのだが、私はあの日かなり疲れていて、その後のことはほとんど憶えていない。せっか名旅館に泊まったのに、館内の様子も料理のことも不思議と記憶にないのだ。明日の早朝散歩に期待して、早々に就寝させてもらった。
萬国屋と温海川
 翌朝は雨降り。宿の傘を借り、ひとり朝食前の散歩に出た。温海川に架かる葉月橋から眺めると、左手前に萬国屋の大きな建物が、その奥に雨にけむる「たちばなや」が見えます。川岸の並木は桜並木です。あつみ温泉は山間のひなびた温泉というより、良く整備された小奇麗な温泉に見えました。
あつみ温泉 中心街
 このあたりが、あつみ温泉の中心街のようです。昭和26年の大火で温泉街は消失しましたが、後に区画整理されて整然とした町並みになっています。写真の中央を通る道路は「表通り」と呼ばれ、旅館が数軒、ほかに商店などが建ち並んでいます。写真左手は木造3階建て、レトロな雰囲気の「かしわや旅館」です。
あつみ温泉 朝市
 雨降りのためか、観光客の姿はありません。広場の両側に店が並び、正面に温泉神社の拝所が置かれています。その奥の少し小高い所に温泉神社があります。普通の観光客は行かないようですが、石段を登って温泉神社へ行きました。そして長徳寺から、ばら園へと進みました。
あつみ温泉 ばら園
 ばら園は熊野神社の下にあります。あいにくの雨降り。しかも早朝なので、ばら園には誰もいませんでした。あつみ温泉の町なかは街路が整っていて、熊野神社下から温海川の河畔まで「神社通り」という太い道路が通っています。神社通りを温海川の河畔へ向って歩きます。
温海川河畔 かじか通り
 桜並木が連なる温海川河畔の道は「かじか通り」と呼ばれています。ちょっと、しゃれた街路です。朝食の時間が迫ってきました。かじか通りを歩いて萬国屋へ帰ることにします。
温海川河畔 与謝野晶子歌碑
 萬国屋のすぐ近く、温海川の河畔に与謝野晶子の歌碑があります。与謝野晶子は昭和10年にあつみ温泉を訪れているそうで、歌碑には「さみだれの出羽の谷間の朝市に傘して売るはおほむね女」が刻まれています。萬国屋で朝食のあとは鼠ケ関に向って出発です。
鼠ケ関 弁天島
 国道7号おけさおばこラインを走行して鼠ケ関(ねずがせき)に到着です。鼠ケ関は温海町の一部でしたが、温海町は平成の合併で鶴岡市と合併。なので、ここも鶴岡市なのだ。羽黒山から鼠ケ関まで全部鶴岡市。ちなみに鶴岡市の面積は白石市+角田市+刈田郡+柴田郡よりも広いのである。
鼠ケ関灯台
 弁天島の突端に建つ灯台を背に記念撮影。海上保安庁によると、鼠ケ関灯台は大正14年初点、昭和54年改築だそうです。
鼠ケ関 弁天島遊歩道
 弁天島は「島」を名乗っていますが陸続きです。15分ほどで島を一周できる遊歩道が整備してあるので散策におすすめですが、スリルを感じる所もあります。左写真の場所などは、海が荒れると波をかぶります。
鼠ケ関弁天島の厳島神社
 弁財天(弁天様)がまつられている厳島神社です。神社前には鼠ヶ関港で水揚げされた鮮魚や魚の加工品を揃えた、おみやげ屋が並んでいます。
鼠ケ関港
 鼠ケ関港を眺める旅行メンバーの後ろ姿に哀愁がただよう。鼠ケ関を過ぎると、すぐに新潟県村上市に入ります。村上市も面積が広く、白石市+刈田郡+柴田郡より広いのだ。よって、この先どこまでも村上市を走行することになる。次の目的地「笹川流れ」を目指して出発だ。
笹川流れ
 鼠ケ関から国道7号を南下。旧山北町の勝木(がつぎ)で国道345号に折れる。勝木から先の海岸風景はすばらしい。特に、鉾立岩のある寝屋(ねや)や鵜泊(うどまり)の風景が良い。笹川流れは寒川(かんがわ)の狐崎から浜新保(はましんぼ)の鳥越山まで11kmも続く海岸。きょうは、その一部分を観光汽船に乗って遊覧します。
笹川流れ遊覧船待合所
 昭和40年代の終りごろ、桑川駅から今川駅まで笹川流れを歩いて旅したことがある。でも、きょうは海の上から笹川流れを見物します。遊覧船の出航時間にあわせて桑川漁港に到着。笹川流れ観光汽船の待合所で乗船券を購入して船を待ちます。待合所にはお土産売場があり、2階は食堂になっています。
桑川漁港
 笹川流れの「笹川」は集落名です。このあたりの岩場を流れる潮の流れから「笹川流れ」と呼ばれるようになりました。実は8ヶ月前にも笹川流れの遊覧船に乗っているのですが、あの時は波が荒くて2割ほどの乗客が船酔いしたようです。今回はどうなることやら、桑川漁港を出航です。
君戻し岩
 まず最初のスポットは君戻し岩です。源義経が笹川流れの大きな景色に気がつかず、何気なく通り過ぎてしまった際に、義経の家来が景色を見せようと呼び戻したことが名前の由来となっているそうです。
ニタリ岩と舞子岩
 次はニタリ岩と舞子岩です。ニタリ岩は穴の形から判断して説明不要ですが、ニタリ岩の左隣の舞子岩は説明が必要です。舞子岩は義経の労苦をねぎらうため、義経の家来がこの岩をバックにして船上できれいな舞を披露したことから名が付けられたそうです。本当でしょうか?
雄獅子岩と汐吹岩
 次は雄獅子岩と汐吹岩です。写真右の雄獅子岩は、大きなライオンが片足を上げて頭を持ち上げた姿に似ているので雄獅子岩と呼ばれるそうです。写真左の小型ピラミットみたいな形の汐吹岩は、岩の中央に大きな空洞が開いていて、大波が入ると天井の穴から汐を吹き上げるので汐吹岩と呼ばれています。
雄獅子岩
 なぜか印象に残った岩なので、雄獅子岩をもう1枚はりつけます。残念なのは、笹川流れで一番人気の眼鏡岩を撮影しそこなったことです。
恐竜岩
 次は恐竜岩です。大きな恐竜が海に首を突っ込んで、海水を吸い上げている様な形に見える事から恐竜岩と呼ばれるそうです。確かに恐竜に似ています。
鷹巣岩
 次は鷹巣岩です。鷹や隼が岩の切れ目や松のこずえに巣を作った事から、鷹巣岩と名付けられたそうです。
屏風岩
 大きな屏風を広げた様に、岩が3枚並んでいるので屏風岩と呼ばれているそうです。
カモメの餌付け
 笹川流れではカモメの餌付けを体験できます。餌やりが始まるとカモメが近づいてきて、その数がどんどん増えていきます。
貼り紙
 船内には「カモメをつかまえないで下さい」の貼り紙が・・・。
カモメ
 すぐそばまでカモメが寄ってきました。近くで見ると、こんなふうに恐い顔をしています。こんな恐いものをつかまえるなんて、とてもできません。
カモメと粟島
 笹川流れの遊覧を終えた船は、大きく方向転換して桑川漁港へ戻ります。遠く洋上に浮かぶのは粟島です。島の名前は粟島ですが、村名は粟島浦村といいます。桑川漁港で下船。一路国道345号を南下して瀬波温泉近くの岩船港鮮魚センターへ向います。
岩船港鮮魚センター
 岩船港鮮魚センターで各自、おみやげを購入。今夜は同じ地区内に住んでいた人の通夜なので早めに帰宅することに。途中、岩船郵便局に立ち寄り、関川村にある国の重要文化財「渡邉邸」や、景観整備事業で堀と柳の並木道が復活した宿場町「下関」の町並みを車中から観光し、道の駅「いいで」を目指しました。
道の駅「いいで」
 道の駅「いいで」は、国道113号にある人気の高い道の駅です。ここで昼食。あとはひたすら帰り道を走るだけですが、メンバーであるSHさんの実家がある川西町洲島(すのしま)に立ち寄ったり、道の駅「たかはた」や道の駅「七ヶ宿」で小休憩しながら大河原に帰りました。
帰着
 6月29日15時40分、無事帰着。今回の旅行に、ん百万円で購入したばかりの新車を使わせてくれたSYさん、全行程を運転してくれたSHさんに感謝です。またKKさん、STさん、YMさん、MTさん、お付き合いありがとうございました。

(地図:Illustrator)

旅行:2015年6月
執筆:2015年10月
改訂:2016年6月
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