地理と地域旅行記
白桃&千本桜の置賜めぐり
制作:千本桜 歌麿 
設置日:2016.6.18
E-mail:tiritotiiki@gmail.com
大河原写真 大河原写真
大河原にて
 毎年、春になると一目千本桜を見に千葉県浦安市から飛んでくる渡り鳥がいる。その名は白桃。「しろもも」ではなく「はくとう」という。この白桃さん、鳥類なのに果物名を名乗っているから変である。
 地理が好きで、市町村の人口にやたら詳しい。でも、区の人口には興味がないらしい。町並みを観察するのが大好きで、大河原みたいな小都市に奮い立つ。なんでやねん! 千本桜とそっくりじゃないか。
 カラオケも好きで、三橋美智也、島倉千代子はもとより、バーブ佐竹、花村菊江、さらには三田明まで手広くこなす。なんでなの。これじゃ、まるで千本桜と同一人物じゃないか。
 しかし、白桃さんは学者である。文学に地理を重ねて謎の句を詠んだりする。
「ここまでも 人口減るか 秋の暮れ」
傑作だけど、難解すぎて一般受けしないのが玉にきず(笑)。解説するのも野暮だが「秋の暮れ」は「安芸の呉」、つまり広島県呉市のこと。かつては隆盛を誇った呉の町の衰退ぶりに、世の無常とはかなさを感じとっているのだろう。
 今年の桜は開花が早く、白桃さんが大河原に着いた日はすでに満開を過ぎていた。柴田町船迫の桜並木を案内したあとは、早々にカラオケ居酒屋「福ちゃん」へ。都会暮らしの白桃さんにとって、この店は異次元の空間に違いない。どうですか、この泥臭い雰囲気と抜群のカラオケ音響は! 店のマスターや客の勝ちゃん(一応、夜の帝王)らも加わって、リンゴ村から♪ネオン川♪へと、白桃&千本桜は懐メロの世界へ溺れて行く。
 翌朝、白桃さんが宿泊しているグリーンホテル大河原へ行き、一緒に朝食。このホテルは大河原で唯一のホテルにして、仙南地方で最大のビジネスホテルである。一目千本桜のお花見は空振りしたが、これから向かう山形県置賜地方では満開の桜が見られるかもしれない。高畠、赤湯、宮内、小松、米沢を目指して出発だ。
小原渓谷写真 材木岩写真
小原にて
 大河原から白石まで国道4号を走行。白石で向きを変え、国道113号を走って深い谷の中に入って行く。白石市小原である。ここは江戸期から昭和32年まで小原村と呼ばれたエリアで、かなり面積が広い。渓流に沿った小原温泉も、宿場の面影を残す下戸沢集落も、天然記念物の材木岩も、すべて小原の中にある。
 この先に小原温泉があるんだ。ちょっと寄り道するね。谷底に3軒の旅館が身を寄せる小原温泉は、国道を逸れた狭い旧道の先にある。昔はもっと賑わっていたはずだが、ニュー鎌倉、上の湯、中の湯の3旅館が廃業。郵便局もなくなって建物だけが残っている。人生も都市も温泉場も栄枯盛衰浮き沈み。
 湯元「かつらや」の駐車場に車を停めて小原渓谷を案内。吊り橋を渡って遊歩道を進むと、突堤を流れ落ちる水しぶきや岩風呂の湯小屋が見えるスポットに到着。白桃さんが生まれた香川県には大きな川がないから、こんな美しい渓谷はないでしょう、と悦に入る千本桜だった。白桃さん、岩に腰掛け、はいポーズ。
 小原温泉から南へ7キロ。宿場の面影が残る下戸沢に立ち寄った。茅葺き屋根が残る小さな街村の下戸沢を「町」と呼べばみんな笑うが、住所は白石市小原字町。れっきとした「町」である。宮城県には富谷字町、七北田字町、角田字町、金ヶ瀬字町など「町」と言う名の字(あざ)が多々ある。字町の区域を線引きすると宿場の区域と重なる場合が多い。
 次に向かったのは国指定天然記念物の材木岩だ。材木岩は白石川左岸にそびえる石英安山岩の柱状節理で高さは65メートルもある。町並み探訪が目的のはずだが本末転倒、自然景観の案内に傾いている。でも、ここを案内しないで素通りしたら不親切になるだろう。羽州街道の跡を歩いて材木岩に向かう白桃さんをパチッと撮影。向かう先には七ヶ宿ダムがある。
七ヶ宿写真 七ヶ宿写真
七ヶ宿にて
 国道113号は白石市を過ぎて七ヶ宿町に入り、七ヶ宿ダムの湖畔を走って西へ伸びる。この道を通るたびダム湖に沈んだ渡瀬の集落を思い出す。たった一度だけだがダムに沈む前の渡瀬を見ているからである。街道に沿って連なる茅葺き屋根の町並みが印象的な集落だった。郵便局もあったような気がする。ノスタルジーだな。
 ダム湖の上流付近には広々した七ヶ宿公園がある。数年前に来たときには桜が満開だった。この桜を白桃さんに見せたくて園内に入ったのだが、まだ蕾だった。園内に設置された道の駅「七ヶ宿」でひとやすみ。あぁ、なんで「しちかしゅく」なの。濁音の「しちがしゅく」のままでいいじゃないかと、いつもそう思う。
 七ヶ宿町の人口はおよそ1,400人。それが関、滑津、峠田、湯原などの集落に分散しているから個々の集落は小規模である。七ヶ宿町の中心、関の町場に着いた。七ヶ宿町で唯一の交通信号機がある町場だ。この規模の町場だと白桃さんには興味の対象外かもしれないが、車を降りて町なかを50メートルほど歩いてもらった。
 置賜地方が目的なのに、道草しすぎてなかなか置賜に到達できない。来たからには多くを見ないと気が済まないのが千本桜の癖である。関を出て湯原の集落に差しかかる。バイパス開通で国道が集落の外を通るようになってからは、何年も湯原の町並みに入ったことがない。町並みといっても小さな街村なのだが、どんなふうに変化しているか気になる。
 ちょっと湯原の町並みに入っていいかな。こんな調子で、またまた寄り道。湯原は雪深い所と子供の頃から聞いてはいたが、季節はすでに4月なかば。春の陽に花が咲く、のどかな集落風景だった。二井宿峠の手前に水芭蕉が咲いていたが、横目で見ながらパス。早く峠を越えて置賜盆地に下りないと、目的の町並み探訪ができなくなる。
高畠写真 高畠写真
高畠にて
 二井宿峠は宮城県側をゆっくり上って、山形県側に一気に下る。峠の傾斜って均等じゃないんだね。千本桜は若いころ、砂利道だった二井宿峠を自転車で越えた時に、平等性を欠いた峠の不条理を体感している。オーバーだな、笑って許して♪
 高畠はいつも市街地を避けて国道を走るだけ。町並みを見たいのに、これではストレスが溜まる。しかし、きょうは遠慮なく中心街へ突入するぞ。その前に国道113号沿いの安久津八幡神社へ参拝。三重塔や茅葺き屋根の本殿がたまらなく奥ゆかしい。季節は春。まさに「置賜は国のまほろば菜種咲き 若葉茂りて雪山も見ゆ」の光景が広がっていた。
 では、高畠の町めぐりスタート。まずは国道を走行して市街地の外縁を一周することに。113号を赤湯方向へ走って根岸交差点へ。そこで399号に折れて米沢方向へ。ヤマザワ高畠店前の交差点を左折して鳩峰峠方向へと進んだ。この間、根岸交差点からヤマザワ高畠店の区間に郊外型店舗が立地するものの、広域から客を集めるような買回性の高い店舗はなかった。
 郊外型店舗の進出状況から判断して、高畠は米沢と赤湯の商業勢力に押されているのが見てとれる。だが、高畠には東置賜郡役所が置かれていた輝かしい歴史がある。しかも、赤湯、宮内、小松といった強者を抑えての郡役所所在地である。この町にはきっと何かある。そんなことを思いながら、安久津から元町、荒町へと町の中へ車を進めた。
 元町、荒町、幸町の商店街は昭和縁結び通りと呼ばれている。千本桜は、ここが中央通りと呼ばれていたころに発行したリーフレットを持っている。いわゆる商店街イラストマップだが、その力作ぶりに感心し、高畠の商店街が大きく動き出しているのを感じていた。あれから十数年、やっと高畠の商店街を見ることができるのだ。
 昭和縁結び通りはレトロを目指す街だから全体に地味である。個々の商店は意匠を凝らして飾り付けをしているのだろうが、運転しながらそれに目をやるのは難しい。あれよあれよと言う間に幅広い街路に出た。後で知るのだが、まほろば通りと言うらしい。なんなの! この優雅な街路は。とりあえず、まほろば通りは後回しにして庁舎通りへ進入した。
 庁舎通りは花とメルヘンをテーマした商店街で、まほろば通りから町役場へ続く道である。歩道や街路灯が整備され、統一したフラッグを掲げた町並みは整然としている。あぁ、それなのに、大河原中央通り商店街の景観は・・・どうぞお察し下さい。最後に、あの優雅な街路を通ってみようと言うことで、再度、まほろば通りへ向かった。
 まほろば通りは電柱が地下に埋められ、歩道は幅広く、建物は和風に統一されて、匂うような優雅さと品格がある。この品格はひとりでに転がり込んでくるはずがない。町の人たちが創り上げ、磨き続けて備わるものなのだ。高畠訪問を記念して、まほろば通りの交流プラザ前バス停に立つ白桃さんを撮影。それでは、赤湯に参りますぞ。
赤湯写真 赤湯写真
赤湯にて
 赤湯町は昭和42年、宮内町、和郷村と合併して南陽市になっている。でも、白桃&千本桜は「南陽」なんて焦点ボケした呼び方をしない。赤湯は赤湯、宮内は宮内と呼ぶ。それが互いの流儀なのだ。
 赤湯案内の道順は次のとおりである。高畠から国道113号および13号南陽バイパスを走行してイオンタウン南陽店前へ。中心街の赤湯温泉大通りを走って赤湯駅へ。県道102号線沿道のヤマザワ南陽店前を通過。その後、温泉街と歓楽街をめぐり、烏帽子山公園で花見をするのだ。普通の人には複雑で目眩しそうなコースだが、地理好きは目眩などするものか。
 国道13号の南陽バイパスを北へ向かって水田地帯を走る。左に見えてきたのはイオンタウン南陽店。東置賜地方で最大の商業施設だ。直進すると山形に行くが、ここで左折。中心街の赤湯温泉大通りに突入します! 赤湯市街地の面的な広がりは大河原市街地の半分。それなのに中心街は赤湯が立派。なんでやねん、大河原の負ですよ。大河原の中央通り商店街は、景観的に品が欠けているのである。
 赤湯温泉大通りは電柱が地下に埋められ、歩道は幅広く、町並みが奇麗な点で高畠のまほろば通りと似ている。だが、まほろば通りが白黒基調の家並みで優雅さを漂わせるのに対し、赤湯温泉大通りは車の交通量も多く、建物もカラフルで活発。その明るい町並みからは、ここが東置賜地方で一番の繁華街であることが伝わってくる。
 千本桜は昭和44年、赤湯の市街を流れる吉野川で野宿をしている。ほら、あそこで野宿をしたんです、と吉野川の土手に目をやりながら、赤い欄干の花見橋を渡って赤湯駅へ向かった。野宿したころ、駅周辺は町の外れの場末だったが、今ではすっかり町の中。赤湯の市街地は、東部に背を向け、西部の駅周辺へ向かって膨張しつづけてきたのだ。
 駅前の次は温泉街だ。来た道を戻れば温泉街へ着くのだが、そんな無粋なことはしない。あちこち見ながら走るのが主義だから、当然ルートは複雑になる。駅前を南下してすぐ左折。ヤマザワ南陽店前を東へ進み、北へ東へまた北へ。阿弥陀籤みたいなルートで市街地東北端の北町に着いた。ここから南下して温泉街へ進入だ。
 温泉街には旅館が十数軒。どれも小規模だから館内にバーやクラブがない。そのぶん、町の中に居酒屋が散らばっている。昼だけど、大通りを横切って夜の盛場栄町へ進入。狭い路地に飲食店の看板がにぎやか。かなりの密度だ。再び赤湯温泉大通りに出て、赤湯で最も地価が高い表町をバックに白桃さんを記念撮影。 
 町並み見学を終えて烏帽子山千本桜へ向かった。烏帽子山は赤湯市街地に接した小高い丘で、立派な造りの八幡宮と石造りの大鳥居がある。大河原の一目千本桜は満開を過ぎていたが、烏帽子山千本桜はまだ満開の前。白い石造りの大鳥居と枝垂桜を背景に記念撮影。時刻は午後の1時半。腹が減ってきたが、このまま宮内まで行ってしまおう!
宮内地図 宮内写真
宮内にて
 赤湯と宮内の中心街は4kmしか離れていない。人口が増えれば、二つの市街地は一つに繋がっていただろう。しかし、ここは人口減少地帯。赤湯と宮内の町並みは繋がらず、今も間に広がる農地が二つの町を分断している。
 宮内は明治22年、東置賜郡で最初に町制を敷いた町である。当時は、ライバルの高畠、赤湯、小松をしのぐ郡内一の町場だったに違いない。こんな歴史を持ちながら、現代ではどこか色あせた宮内。旅心をくすぐるではありませんか。
 白桃さんにとって宮内は遠いから、何度も来ることはできないだろう。これが最初で最後の宮内になるかもしれない。手抜き案内はできないぞ。限られた時間で効率よく町並みを案内するために、右に掲げた案内図を作成した。
 まず、市街地の南方郊外、国道113号宮内バイパスを東へ走行。ドラッグストアやホームセンターが店を構えるエリアに到着した。ここは現在、宮内で最も地価の高い区域だが、店舗の数は多くなく、農地が混在する風景はどこか長閑さが漂う。
 国道沿道の「とんかつ竹亭」で遅い昼食。小奇麗でちょっと気の利いた店だったが、何を食べたか忘れてしまった。ツルハドラッグ南陽店前で国道から市道に折れ、フラワー長井線の踏切を越えて市街地へ。旭町、宮内駅、南町と進んだが、素っ気ない町並みに、あれっ? という感じ。この先に展開する新町の町並みに期待しよう。
 駅前通りを北へ進み、正徳寺前の十字路で左の柳町にちらりと目をやり、右の新町に進入した。新町は宮内の銀座だ。製糸業が盛んなころは郡内一の繁華街だったに違いない。何となく重厚感のにじむ町並みに、昔の賑わいをイメージしてみる。だが、地域の中心が赤湯に移った現在、宮内新町の地価は赤湯表町の半額。活気の衰えは隠せない。
 新町から横町へ直進。ヤマザワ宮内店前で右折して南下。また右折して東進。またまた右折して本町を北上。進路が変わるたび、白桃さんの目が町並みを追いかける。石の鳥居と石畳が目を引く印象的な街路が飛び込んできた。宮町の熊野門前通りだ。静かだが美しく整備された街路は宮内のシンボルロードで、突き当たりには熊野大社が鎮座している。
 宮町の突き当たり、大イチョウ脇の駐車場に車を停め、石段を登って熊野大社に参拝。いつ見ても茅葺き屋根の拝殿は重厚である。参拝を終え、宮町の熊野門前通りを撮影。隣接する双松公園に車を走らせ、小高い丘から宮内の町並みを俯瞰した。帰り道は宮町の東側、粡町の町並みを走行。この粡町、昔は商店街だったろうに、今は住宅街と化している。
 千本桜は変な名前が気になる性格。宮内で気になるのは「世界」と言う名の旅館。なんで「世界」なんだ、ということで田町通りを走行。世界旅館の存在を確認してから漆山へ。漆山は昔、製糸業で栄えた集落。宮内の一部でありそでなさそな変な立ち位置。二つの町並みは切れそで切れずに繋がっている。製糸工場跡地にある「夕鶴の里」を見て小松へ向かった。
地図
小松にて
 漆山から国道113号と287号を通って小松へ。単純なルートだから道に迷うはずはないのだが、宮内で食べた遅い昼飯が胃袋に効いてきたらしい。頭がぼーっとして、現在地があやふやになってきた。千本桜の車にはカーナビがない。川西中学校近くのコンビニで一休み。頭を冷やして現在地を確認することにした。
 この先、小松と米沢が待っている。急がなくては。頭が覚めきらないままコンビニを出発だ。千本桜が「どっちへ進むんだっけ」と、案内人らしからぬことを口走れば、白桃さんが「あっちじゃないかな」と答える。あらら、立場が逆転。気を引き締め、JR米坂線の踏切を渡って小松の市街地へ入った。小松は川西町の中心となる町場であるが、白桃&千本桜は小松で押し通す。
 小松といえば、ダリヤ園、井上ひさし、三菱鉛筆、それに樽平酒造と掬粋巧芸館が有名。飲ん兵衛の白桃さんを樽平酒造の試飲コーナーへ案内するつもりが、うっかり失念。右へ曲がれば樽平酒造なのに、左へ曲がって中心街へ向かってしまった。米沢と村上、新発田を結ぶ越後街道の宿駅だった小松は、白桃さんの目にどのように映るのだろう。
 小松の中心街は駅前通り、十日町、五日町、坂ノ上あたりだが、全体的に町並みが古くさく見える。消雪パイプの水で赤錆た道路が、それを煽り立てる。高畠まほろば通り、赤湯温泉大通り、宮内熊野門前通りのように美しく整備された街路が見当たらない。美しい小松を案内しなければ、と千本桜は焦り出す。そうだ、ダリヤ園に行こう!
 川西ダリヤ園は日本最大規模のダリヤ園だ。「ダリア」じゃなくて「ダリヤ」で押し通すところに川西町の心意気を感じたりして。だが、季節はまだ4月。花が咲いていないのを知りながら車を走らせたが、結果は案の定、お察しください。どうやら、小松の案内は不完全燃焼に終わったようだ。おまけに、記念の写真も撮っていない。
 写真の代わりに手製の置賜めぐりルート図を掲載します。高畠、赤湯、宮内、小松は規模が似ていても個性派ぞろいで、町並みの雰囲気が全然違う。必死で頑張っている高畠。はしゃぎ回っている赤湯。疲れたので横になって寝てしまった宮内。平成の到来を知らず今も昭和だと思っている小松。車で一巡しただけだが、そんな印象を受けた。
 4町の町制施行年を追ってみると、宮内が明治22年、小松が明治23年、高畑(後に高畠へ改称)と赤湯が明治28年である。小松が高畠より先なのは意外だが、4町とも明治20年代に町制施行した実力派だ。特に宮内は、酒田、鶴岡、新庄などと同期の古参町。当時、東置賜郡で最も都会的だったのは宮内だろうと推察する。
 次に役所の配置から中心性を考える。明治40年発行の文献によると、高畠には郡役所、警察分署、郵便局、支金庫、税務署が置かれ、赤湯、宮内、小松には警察署またはその分署と郵便局が置かれていた。このことから、東置賜郡の行政センターは高畠だったと推察できるが、なぜ赤湯や宮内ではなく高畠なのか、それは不明である。
 次は人口の推移とランキングである。明治40年の人口は高畠5,656、宮内5,021、小松4,915、赤湯4,160だったが、大正9年には宮内6,888、高畠6,735、赤湯5,232、小松5,230になり、昭和10年には宮内10,532、高畠8,638、赤湯7,041、小松6,324に変化している。大正から昭和初期は、製糸業が盛んな宮内の成長期だったのだろう。
 しかし、昭和25年の統計では宮内11,330、高畠10,591、赤湯9,288、小松7,489で、15年間の増加率は宮内が最低。高畠、赤湯、小松との人口差が縮まり、地域の中心が宮内から赤湯へ移ろうとしているのが見える。千本桜が独自に算出した昭和45年ごろの町の力量は、赤湯を100とすると宮内88、高畠74になり、小松は不明である。
米沢写真 米沢写真
米沢にて
 小松から国道287号を南下して米沢へ着いたのは、午後4時を過ぎていた。米沢は置賜の首都である。市街地の面積も広く、高畠、赤湯、宮内、小松の市街地を束ねたよりも、もっと広い。置賜めぐりの時間も残り少なくなってきた。どれだけ米沢を案内できるか心配だが、とにかく米沢城址の上杉神社へ行ってみよう!
 上杉神社のある松が岬公園はいつ来ても観光客で賑わっている。この日も平日の午後4時半なのに観光客がいる。それもそのはず、松が岬公園を訪れる人の数は山寺や羽黒山よりも多く、山形県で一番の観光スポットなのだ。ここで、大鳥居と白桃さんのツーショット撮影。拝殿前の立派な唐門もカメラに収めた。
 米沢城は伊達政宗の出生地。政宗は米沢から岩出山、仙台へと転居するが、そのたび町人と町名もついて行く。だから米沢と仙台には同じ名前の町がある。米沢の大町、東町、南町、立町、柳町、粡町がそれだ。ただし、仙台では東町を肴町に、粡町を荒町に変え、立町(たつまち)を「たちまち」と呼んでいる。
 では、中心街へ参ろう。上杉神社からまっすぐ伸びる県社通りを東へ走行。おや、あれは何だ? 右手のレトロな木造建築に目を奪われるが素通りする。車は急に止まれない。車の速度と町めぐりは噛合わないものがある。後で知るのだが、九里学園高の校舎だとか。米沢には、こんな良いものがあちこちに散らばっているんだろうな。
 次の信号を左折して大町通りに進入。江戸期には、仙台の大町も米沢の大町も城下で一番の商人町だった。札の辻があり、里程標が置かれていたから日本橋みたいなものだろう。時刻は午後の5時。街が活気づき、賑やかに感じる時間帯である。さらに、前方に見える大沼デパートのシックで重厚な外観が米沢を都会らしく見せている。
 だが、大沼デパート前を左折して平和通りへ入ったとたん、ショックが走る。なんなの、この屋根が低くて古ぼけたアーケードは! 街を暗くしているではないか。花巻上町通りや水沢駅前通りのアーケードに負けてるぞ。とは言え、ここは米沢一の繁華街。通りの北側裏手には猥雑な夜の歓楽街が展開し、米沢の懐の深さを感じさせる。
 そろそろ白桃さんを駅へ送らなければ・・・。おっと! その前に金池の案内を忘れてた。市街地北部の金池は、土地区画整理で造成された新市街地。ロードサイド店が林立し、市役所も立地する。地価も平和通りを抜いて米沢でトップ。米沢のホットゾーンだな。慌ただしく金池を一巡し、最上川に架かる住之江橋を渡って米沢駅へ向かった。
 米沢駅前を訪れたのは40年ぶりかな? 本来は場末のはずだが、駅前の住之江町通りは予想以上に整備されていた。やっぱり米沢は大きい。案内しそびれた場所がいくつもあるのが心残り。駅前で白桃さんと別れたあと、千本桜は再び中心街へ。奥深い米沢の町並みを車で流し、赤い灯、青い灯がともり始めた米沢を後にした。

(地図:Illustrator)

旅行:2016年4月
執筆:2016年6月
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