地理と地域旅行記
斜陽都市 両津
制作:千本桜 歌麿
設置日:2019.10.10
E-mail:tiritotiiki@gmail.com
両津港写真 両津湊本町写真 両津らんかん橋写真 両津夷本町写真 両津夷横町写真 両津神明町写真 両津源八写真
 両津は佐渡の玄関口にして最大の都市である。だが、活力の衰えが止まらない。平成27年の人口は1万3千人。昭和30年の3万人に比べれば半分以下に減少している。人口の推移からするとボロボロの衰退都市だが、そこは“腐っても鯛”。賑やかだった頃の建物が残っているから、市街地の外観はまだ都会的に見える。汽船ターミナルにアーケード商店街。食堂、居酒屋、銀行、ホテル。いろいろ揃えて都市の面目を保っているのだ。

 両津は湊(みなと)と夷(えびす)が合体した町だ。まず、湊本町を探索。レトロな町家が隙間なく、びっちり建ち並んでいる。隣の家の温もりまでもが伝わってきそうな密着度になぜかハラハラ。夫婦喧嘩は隣の家に筒抜けだ。昔は賑わったであろう湊本町通りだが、今は廃業した店舗が多く、この酒屋も、あの時計店も、看板を残したまま“しもた屋”になってしまった。世は無常、ちょっとセンチメンタルジャーニーになりそうだ。

 湊と夷を区切る境川には橋が3本。西から順に加茂湖橋、両津らんかん橋、両津大橋である。らんかん橋を渡って夷へ。橋の上には大漁を祈願する「いさりび」の像。西は加茂湖、東は日本海。橋を渡れば県指定の天然記念物“村雨の松”がある。村雨の松の命名者は、あの明治の文豪、尾崎紅葉だそうな。両津郵便局を過ぎると、佐渡随一の商店街であった夷本町通りのアーケード街が迎えてくれる。

 アーケードの長さは600m。しもた屋が目立つが、それでも衣料品店、薬局、メガネ店、書店、美容室、生花店、銀行などが店を構え、賑わった昔をしのばせる。人口減少で客足は落ちているはずなのに、よく持ちこたえているなと感心する。ただし、両津にはスーパー、ホームセンター、家電量販店、ファストフードなどの郊外型店舗がない。15km離れた佐和田に全部持って行かれたのである。小売業界から見捨てられた都市といえる。

 アーケード商店街を加茂湖方面へ折れてみた。正面に8階建ての老舗旅館吉田家が見える。周辺には花月、天の川荘などの旅館もあり、佐渡観光の拠点となっている。バブル景気のころは団体旅行客がどっと押し寄せ、夕食のあとはネオン街へ繰り出したに違いない。だが、それも今は昔。観光客は減少し、旅館、スナック、食堂などの廃業で街は無秩序に古びていく。平気で路上駐車している車が、無秩序な町並みをさらに無秩序に見せている。

 本町通りが昼の顔なら、神明町通りは夜の顔。時刻は昼の12時。こんな時刻に夜の盛り場をぶらついて何が面白いと思うだろうが、地理好きは何でも見るのが信条。おぉ…期待通りの町並みが広がっているではないか。表通りをお陽さまにはじき出されて裏通り。どこかすねたような町並み。気持ちが裏町モードに切り替わる。この神明町、昔は遊郭だったそうな。今はスナック、居酒屋、パブ、カフェ、寿司、食堂が軒を並べる飲食店街だが、懐かしい黴の匂いがしそうな町並みである。

 黴の匂いがしそうな神明町通りで、味のある建物に出くわした。その名はキッチン源八。渋くていい名だ。どうやら洋食屋さんらしい。食事をしたいが、時間がないので外観を見るだけ。年季の入った建物は和風とも洋風ともとれるが、どっちでもいいや。とにかく格好よくてフォトジェニックで、両津にお似合いなのだ。こういう店の調理人は頑固だといいな。

 道路を挟んでキッチン源八の向いは居酒屋ほたる。“ほたる”だなんて、じんとくるじゃないか。俺、下戸だけど、呑めたら暖簾をくぐってカウンターの端っこに腰掛けたいね。店の主は女将か親父か知らないが、とりあえず女将ということにしておこう。女将「いらっしゃい、ここらじゃ見かけない顔だけど、お一人なんですか」、俺「そう、一人だよ、熱燗一本」、女将「まぁ、嬉しい。私も一ついただくわ」。初対面だというのに話がはずみ、ぐいぐい呑んじゃう女将。俺、女将の膝枕。気がつけば窓のすきまに朝の気配が…。みんな空しい白昼夢である。さよなら、キッチン源八、居酒屋ほたる。潮の匂いの海べまち。

旅行:2019年9月
執筆:2019年10月
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