地理と地域旅行記
栃木 夕暮れ散歩
制作:千本桜 歌麿
設置日:2022.2.8
E-mail:tiritotiiki@gmail.com
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散歩ルート
 少し自由な時間が取れたので栃木の街を散歩した。この街を初めて訪れたのは昭和42年のことだから、かれこれ55年前になる。以来、何度か来訪しているので、少しは馴染みのある街である。市役所の立体駐車場に車を置いて街歩きスタート。時刻は午後4時を過ぎている。冬の日暮れは早いから、もうすぐ暗くなる。
 蚤の市通りを歩いて嘉右衛門町入口へ、そこから栃木病院→開運橋→栃木高校→旧栃木町役場へと向かった。この近辺はすでに何度か歩いている。前回歩いた時は、旧栃木町役場の建物が工事用シートに覆われ、文学館に生まれ変わるための改装工事中だった。あれから1年半、街並みはどのように変化しているのだろう。景観整備に力を入れている栃木市のことだから、美しい街並みになっているに違いない。楽しみである。
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市役所から嘉右衛門町へ
 栃木市役所はメインストリートの「蔵の街大通り」に面している。6階建てのビルディングだが、役所の建物にありがちな威圧感を感じさせない。むしろ「おいで、おいで」と呼びかけている感じ。「いらっしゃいませ」の声が聞こえそうな気もする。それもそのはず、ここは昔、福田屋百貨店の建物だった。福田屋百貨店は平成2年に開店し、栃木の核店舗として中心街に華を添えてきたが、平成23年に閉店。今は1階に東武百貨店が入居し、2階から上を市役所が使用している。隣接する立体駐車場に駐車し、蚤の市通りを歩いて嘉右衛門町へ向かった。
 嘉右衛門町の正式名は「かうえもんちょう」だが、一般には「かえもんちょう」と呼ばれることが多い。大阪ミナミの宗右衛門町はネオンきらめく盛り場だが、嘉右衛門町は打って変わって渋い街並み。例幣使街道に沿った古い街並みは重要伝統的建造物群保存地区(略して重伝建)に選定され、街歩き愛好家を惹きつけている。嘉右衛門町を歩くなら岡田記念館の見学は外せないが、夕暮れが迫っているので今回はカット。重伝建地区の入口付近を撮影した後は、踵を返して栃木病院へ向かった。
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栃木病院
 栃木は国登録の有形文化財(建造物)の宝庫だ。岡田家住宅翁島別邸主屋・栃木高校講堂・旧栃木町役場庁舎・横山郷土館離れ・塚田歴史伝説館展示館など、その数は54件に上り、宇都宮や足利を大きく上回る。栃木病院も国登録の有形文化財で大正2年の建築。木造2階建てのレトロ感が漂う洋館だ。しかも現役のクリニックだと言う。
 2階のバルコニーはおとぎ話の絵本のようでメルヘンチック。外観の配色も心に残る色使い。この色はナニ色だろう。青銅色、青磁色、それとも薄水色かな。どれも似ているけど微妙に違う。色あせしているので分かりにくいが、たぶん青竹色だろうと自分に言い聞かせて納得。当ページに掲載した地図も、これに倣って青竹色を基調とした。
 この栃木病院をカメラに収めるのは意外と大変。立ち入ることのできるスペースが狭いのだ。正面から全体像を撮りたいのだが、近過ぎると全景が入らないし、バックすると余計な物まで入ってしまう。体をかがめたり、ひねったり、のけぞったりしているうちに、なんだか盗撮している気分になってきた。しかも逆光。えい!こうなったら執念で撮ってやる。
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巴波川 開運橋
 栃木病院から徒歩2分。開運橋から街を眺める。7階建ての大きなビルは市役所の立体駐車場で、その下を巴波川が流れている。巴波と書いて「うずま」と読む。巴波川に架かる橋は、上流から順に嘉右衛門橋・泉橋・大川橋・開運橋・常盤橋・倭橋・幸来橋と続くが、縁起の良い名前が多い。開運橋はどこにもありそうだけど、運が開けるなんて良い名前じゃないか。昔の人は橋に未来を託して命名したのだろう。
 巴波川は、利根川の支流の渡良瀬川の、そのまた支流だから、それほど太い川ではない。栃木の街は巴波川の舟運で栄えたと言われている。それは本当のことだろう。しかし、舟運と聞けば最上川のような大河を思い浮かべる私には、巴波川の川幅の狭さが気になる。昔はもっと水量が多かったのだろうか、などと想像をめぐらしているうちに、どんどん陽が傾いていく。
 夕暮れ時の風景は、哀しくもない心をセンチメンタルにさせるから不思議。あの、しわがれた声で哀しく唄う桂銀淑の「大阪暮色」が頭をよぎる。巴波川の夕景を眺めているのに、なんで「大阪暮色」がよぎるんだ。あほやねん。
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栃木高校
 開運橋から西へ歩いて栃木高校へ。栃木は高校の多い街だから、混乱しないようにフルネームで書けば栃木県立栃木高等学校となる。校章はトチノキの葉をデザインしたもので、その校章をあしらえた門扉には伝統校の風格が感じられる。栃木には国登録の有形文化財がたくさんあるが、その中の3件は栃木高校の校内にあるのだ。講堂・記念図書館・記念館の3件で、いずれも明治・大正に建てられた木造の擬洋風建築。国登録の有形文化財が3件もあるなんて、さすがは伝統校。
 文化財を見たいが、校内に進入するわけにもいかず、外から眺めるだけにした。記念館は奥の方にあるので見えないが、講堂と記念図書館は見える。記念図書館を眺めていたら山形県の鶴岡市を思い出した。栃木と鶴岡は街の規模も似ているが、擬洋風建築が数多く残っている点で非常に似ている。そしてどちらも、品の良さを保ちながら街づくりをしているように思えた。
 ※迂闊にも栃木高校の写真を撮りそこなった。「夕暮れ散歩」の写真の代わりに、1年半前に「早朝散歩」をした時に撮り溜めしていた栃木高校の正門と記念図書館の写真を掲載します。
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旧栃木町役場
 栃木高校から県庁堀沿いを歩いて旧栃木町役場へ着いた。前に訪れたとき、この建物は工事用シートに覆われていた。文学館に生まれ変わるための改装工事中だったのだ。あれから1年半、旧栃木町役場の建物は青竹色のペンキも鮮やかに、栃木市立文学館として蘇っていた。この建物も国登録の有形文化財で、登録名は栃木市役所別館(旧栃木町役場庁舎)とある。同一の建物なのに、旧栃木町役場だったり、栃木市役所別館だったり、栃木市立文学館だったり、ちょっとややこしい。
 この建物は大正時代に、栃木県庁跡地の一画に栃木町役場として建てられた。木造総2階建ての洋風建築で、屋根には小さな塔が乗っている。外壁は1階が青竹色の横板張りで、2階は白い漆喰壁。メルヘン的で印象に残る建物である。栃木を代表する建築物は何かと問われたら、私はこの旧栃木町役場を挙げたい。大正10年に建てられた栃木町役場だが、昭和12年の市政施行に伴って栃木市役所庁舎となり、昭和35年の新庁舎開庁とともに栃木市役所別館と改称された。商工観光課や文化課などが入居して活用されてきたが、今度は市立文学館として出発しようとしている。
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栃木市立文学館
 旧栃木町役場(栃木市役所別館)は改装工事が終わり、令和4年の春に栃木市立文学館として開館する予定です。まだ開館はしていないが、ぐるりと外観を見てみよう。北側と東側から見る機会が多い建物だが、南側にまわって、くらのまち保育園側から眺めてみた。県庁堀越しに見る文学館はやはりメルヘン。詩的で美しい。旧栃木町役場を取り壊さずに、文学館として生き返らせた栃木市に感謝しよう。
 栃木は「路傍の石」の作者・山本有三のふるさと。くらのまち保育園前の道路脇にある文学碑には「たったひとりしかない自分を、たった一度しかない一生を、ほんとうに生かさなかったら、人間、生まれてきたかいがないじゃないか。」と記されている。そのとおりですと思いながらも、我れを生かせないで終わりそうな自分の人生に口をつぐむ。
 文学館を含む一帯は都市の再生整備事業が行われて、景観が様変わりしている。かつての栃木第一小学校と市役所本庁舎が取り壊され、その跡に、くらのまち保育園・蔵の街楽習館・市立美術館が建設された。もう暗くなったが美術館を見てみよう。
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栃木市立美術館
 市立美術館は鉄筋コンクリート2階建て。蔵をモチーフにしたシックでモダンな建物だ。令和4年11月の開館予定だが、建物はすでに完成している。建物は完成しているのに、なぜ11月まで開館を延ばすのだろう。どうやら新築の美術館には、美術工芸作品を搬入する前に、建物等から発生する有害物質や水分の濃度を下げるための「枯らし期間」というのが必要らしい。新築建物を放置しておいて枯らすらしい。とは言うものの、館内には明かりがついている。職員さんたちは今ごろ、準備に追われて大忙しかもしれない。
 ここは以前、市役所本庁舎があったところで、文学館に隣接している。開館した暁には、美術館と文学館をはしごする観光客も多いだろう。栃木の観光スポットは、巴波川や蔵の街大通りを中心としたエリアと、重要伝統的建造物群保存地区の嘉右衛門町エリアだが、これに美術館・文学館・県庁堀のある入舟町エリアが加わるのだから夢が膨らむ。あとは土産品の開発だな。礦泉煎餅などもあるにはあるが、宇都宮の餃子や足利の古印最中のような、インパクトの強い土産品はないような気がする。
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県庁堀
 むかし、栃木は栃木県の県庁所在地だった。明治4年の廃藩置県で下野国は栃木県と宇都宮県に分かれたが、明治6年に宇都宮県を廃止して栃木県に統合。栃木町は新たな栃木県の県庁所在地となった。現在の、くらのまち保育園・蔵の街楽習館・市立美術館・市立文学館・栃木中央小学校・栃木高校のある区域が県庁跡で、 その周囲に、約1キロメートルに及ぶ堀を巡らしたのが県庁堀です。しかし、明治17年に県庁は宇都宮に移され、栃木はわずか13年で県都の幕を閉じた。県庁堀は栃木の歴史を今に伝える文化財で、県指定の史跡になっている。
 左に、くらのまち保育園と蔵の街楽習館、右に文学館と美術館を見ながら、県庁堀沿いの道を歩く。建物はいずれも新しく、くらのまち保育園は平成30年に開園、蔵の街楽習館は令和2年に開館、文学館と美術館は令和4年のオープン予定です。石畳の道路はシックで上品な感じ。街灯も大正ロマン風。県庁堀の水面に映る文学館と美術館を見ていたら、小樽運河を思い出した。この日は誰もいなかったが、文学館と美術館がオープンしたなら、観光客が喜んで歩いてくれそうな街並みである。
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巴波川 綱手道と常盤橋
 12月の日暮れは早くて、常盤橋に着いた頃には、すつかり暗くなっていた。しかも、寒さで体が冷えている。すぐそこに横山郷土館があるのに、足を向ける気力もなくなった。川べりの綱手道を歩いて塚田歴史伝説館や、うずま公園まで行く予定だったが、あきらめて駐車場に戻ることにした。
 ところが、蔵の街大通りを見たくてしょうがない。栃木に来たなら、メインストリートの蔵の街大通りを歩くのが習わしになっている。街の変化を見るためである。遠回りして山車会館から大通りへ出ると、グランドホテル・市役所・ホテルサンルートの高層ビルが目に飛び込んでくる。ここから眺める街並みが一番都会的に見えるようだ。たかが7階建てや8階建てのビルを見て都会的だなんて、大袈裟だと笑わば笑え。私にとって栃木は都会である。
 駐車場へは東武百貨店の店内を通り抜けて行く。このデパート、正確には東武宇都宮百貨店栃木市役所店という。スーパーとは異なり、陳列も少し洗練されている。冷えた体に店内の暖房が温かい。2時間足らずの街並み散歩だったが、また1つ、栃木の街が体に染み付いてきたようだ。

(地図:Illustrator)

旅行:2021年12月
執筆:2022年2月
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