地理と地域旅行記
東日本大震災・原子力災害伝承館
制作:千本桜 歌麿
設置日:2022.11.24
E-mail:tiritotiiki@gmail.com
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ルート
 令和4年の秋、17名で視察研修旅行をした。近場なので日帰りである。目的地は福島県双葉町の東日本大震災・原子力災害伝承館だ。目的地だけ視察すれば済むのだが、地理が好きなので、行程の全部が気になる。
 午前9時、大河原を出発して山元ICへ。常磐自動車道を南下し、南相馬鹿島SAで休憩。常磐双葉ICで高速道を降り、東日本大震災・原子力災害伝承館へ。
 帰路は、国道6号を走行。相馬から県道に入り「浜の駅松川浦」で昼食。「道の駅かくだ」で休憩。午後2時30分、大河原に帰着した。
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角田市
  角田市はコメの生産額が仙南一、工業出荷額も仙南一。だが、市民は「角田にはナンにもない」と言う。田んぼがあるじゃないか、工場があるじゃないかと話しても、うわのそらである。田んぼや工場は眼中にないらしい。それなのに、郊外型店舗が群がる大河原バイパスを目にすると、「大河原はナンでもあり」に映るらしい。ナンにもないとナンでもありの「ナニ」って何。これは簡単そうで難しい問題だ。「ナンにもないとナンでもありについて考える」は、あしたのこころだ〜
 大河原から20分。バスは街路樹の銀杏並木が色づく角田市街を走っている。国道113号の沿道には、ドラッグストア、スーパー、ホームセンターなどが張りついているから、「ナンにもない」わけではない。しかし、市民にとっては物足りないのだろう。洋服、家電製品など、高次な買い物をするときは、名取市や大河原町へ出かけて行く。
 角田市街を通り抜け、県道44号に架かる角田橋を通過する。下を流れるのは阿武隈川。流路延長239km。信濃川、利根川、石狩川、天塩川、北上川に次ぐ、国内6位の大河である。のどかでゆったりした風景だ。
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角田山元トンネル
 角田市では、阿武隈川の西側を隈西(わいせい)と呼び、東側を隈東(わいとう)と呼ぶ。バスは阿武隈川を渡って隈東地区へ。まるで高速道路のように立派な県道272号「角田山下線」を走行して、角田山元トンネルに進入。トンネルは2010年に開通。角田市と常磐自動車道山元インターを結ぶ重要な道路である。しかし、道路の開通は、角田市民の購買力を名取市のイオンモールへ流出させる結果になった。
 トンネルを抜けると亘理郡山元町だ。1955年に山下村と坂元村が合併し、一文字ずつとって山元町になった。あいにくの曇天だが、太平洋に面しているので風景は開放的。温暖な気候で東北の湘南と呼ばれているが、東日本大震災の津波におそわれ、海沿いの集落は壊滅。人口が激減して、景観は一変。町はいま、復興の真っ只中にある。特産品はイチゴ、リンゴ、ホッキ貝。
 右手に和風レストラン「田園」を見ながら、バスは国道6号を突き抜ける。山元インターに到着だ。さあ、これから一路、常磐自動車道を南下して、福島県新地町、相馬市、南相馬市、浪江町、双葉町の順に進んで行くぞ。  
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常磐道 南相馬鹿島SA
 大河原を出発してから40分。相馬郡新地町を通り過ぎ、相馬市に差しかかった。道路案内板には、相馬インターまで7キロとある。相馬市の市街地は中村藩6万石の城下町。今でも「中村」という地名が通用し、常磐線の相馬駅も、1961年までは中村駅と呼ばれていた。
 相馬市を過ぎて南相馬市へ進入。南相馬鹿島サービスエリアでトイレ休憩。福島県内の常磐自動車道では唯一のサービスエリアだ。サービスエリアは、上り線と下り線の両方に設置してあるのが普通だが、ここでは1箇所に集約され、上りの車と下りの車が同じ施設を共用している。観光施設の「セデッテかしま」を併設しているので、大きなサービスエリアに見える。「セデッテ」とは「連れてって」のことである。
 南相馬市は、平成の大合併で原町市、鹿島町、小高町の1市2町が合併して成立。中心の旧原町市は、地名は原町(はらまち)で、駅名が原ノ町(はらのまち)だから厄介だ。相馬市の中村と南相馬市の原町はライバル都市。城下町の中村に比べ、宿場町の原町は存在感が薄く感じられるが、実際には原町の方が大きな都市である。
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常磐道 常磐双葉IC
 南相馬市から双葉郡浪江町へ。途中で、何台もの大型ダンプとすれ違う。大型ダンプには「環境省除去土壌等運搬車」と書かれた緑色の横断幕が張ってある。これは、福島県の浜通りでは日常的な光景だが、考えれば恐ろしいことだ。原発事故から11年を経た今も、放射線をまきちらす可能性のある除染土運搬車が行き交っているのだ。
 双葉町の常磐双葉インターで高速道路を降りる。双葉町が請願し、費用の一部を負担して設置した新しいインターである。開業はテレビ番組にも取り上げられて話題となった。双葉町の人口はゼロ。人の住めない町にインターを設置するのは珍しいが、地方の小さなインター開通式典に首相が参加したことも珍しい。インターの設置は復興支援の一環として重要だったからだろう。
 いよいよ目的地の東日本大震災・原子力災害伝承館が近づいてきた。常磐線双葉駅周辺は、無人の家屋と更地がいりまじり、廃墟となった街のかたわらでは、新しい街の建設が進められている。ここは昔、長塚村と呼ばれ、双葉駅も1959年までは長塚駅を名乗っていた。伝承館はここから2kmの沿岸部にある。
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双葉町 伝承館1階
 東日本大震災・原子力災害伝承館に到着。伝承館は建設費を国が負担し、2020年9月に開館したばかり。伝承館の周辺は復興に向かってまっしぐらである。同年10月には双葉町産業交流センターが開館。2021年5月にはビジネスホテルもオープン。さらに、2025年の完成を目指して福島県復興祈念公園の整備が進められている。
 伝承館は入館料600円。展示ゾーンは6つのブースで構成され、1.プロローグシアター、2.災害の始まり、3.原子力発電所事故直後の対応、4.県民の想い、5.長期化する原子力災害の影響、6.復興への挑戦の順に、決められた順路で進んで行く。まず、係員に誘導されて1階のプロローグシアターへ。
 シアターでは、円筒型のスクリーンに津波、原発事故の映像が映しだされ、西田敏行のナレーションが流れる。でも、このスクリーン、大きすぎないだろうか。6面のスクリーン全部に映像が映し出されれると、圧迫感がある。シアターで視聴したあとは、螺旋状のスロープを歩いて2階の展示ブースへ向かう。スロープの壁面には、震災と事故の状況を伝える写真が時系列で展示あった。
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双葉町 伝承館2階
 2階展示室は、「災害の始まり」から「復興への挑戦」まで、5つのブースで構成。テーマごとに映像を駆使し、カラフルで美しく展示してある。だが、山元町震災遺構「中浜小学校」を見学して感じたときの、災害の怖ろしい臨場感が伝わってこない。そもそも「震災遺構」と「伝承館」の性質の違いもわからずに、同一視している自分が悪いのだが、最後まで臨場感のなさが、つきまとうことになった。
 震災遺構は倒壊した建物などをそのまま残してあるので、被害状況が生々しく飛び込んでくる。しかし、この伝承館は、主に原子力災害の資料を収集、保存、展示し、復興に取り組む姿を発信する施設だから、展示内容が幅広くて多岐にわたる。見学には、ある程度の予備知識を身につけ、語り部や学芸員の話を聴くことが大切だと感じた。
 2階廊下から眺めると、白を基調とした吹き抜けが開放的。しかも、新しい施設なので清潔感が溢れている。白い壁面には写真パネルが展示してあり、美術館にいるような気分だ。この日は曇り空だったが、晴れた日には明るい日差しが差し込んで、もっと美しく見えることだろう。
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双葉町 伝承館東側
 伝承館の外観を東側から眺めてみよう。芝生広場に面して湾曲したガラス張りの建築が印象的だ。設計者は「ここを訪れた人々が、かつて見た海の風景や海風を感じられる懐かしい場所にしたい」との思いを込めて、どこか“海の家”のような、軽やかで親しみやすい建築にすることを意識したという。確かに、軽やかなデザインで美しい。
 伝承館の東どなりでは、2025年の完成を目指し、福島県復興祈念公園の整備が進められている。双葉町と浪江町にまたがる大きな公園で、面積は東京ドーム10個分を超えるそうだ。海に向かって東へ歩いてみよう。芝生広場の奥には整備中の復興祈念公園が広がり、その先に太平洋が見えると思ったが、防潮堤工事で地面からは見えないらしい。残念だがここで引き返そう。
 双葉町は、東日本大震災の大地震で震度6強を観測し、沿岸部は高さ16.5mの大津波におそわれた。水田地帯のこのあたりも津波に飲まれ、ほぼすべての建物が全壊している。さらに、原子力発電所の事故により、避難指示が出されて無人の町となった。曇天の風景は寂しい。いつか、晴天の日に再訪し、明るい風景を見たいものだ。
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双葉町産業交流センター
 伝承館の隣に4階建てのビルがある。2020年10月に開館した双葉町産業交流センターだ。貸会議室や貸事務所のほか、フードコート、土産物店、レストランなどの商業施設が出店した複合施設で、東京電力福島復興本社も入居している。屋上には展望スペースがあり、双葉町の景色や海を見渡せるそうだが、出発の時間が迫っているので、建物の外観だけ眺めて帰ることにした。
 伝承館も立派な建物だが、産業交流センターも実に立派。双葉町の行政規模からすれば、豪華な施設ではないだろうか。町では、伝承館と産業交流センターを復興のシンボル施設に位置付け、期待を寄せている。さらに、2021年5月には県道の向かい側にビジネスホテルもオープン。どれも真新しい建物で、このエリアだけ見ていると、力強い復興の息吹が感じられる。
 しかし、復興庁などが2021年の夏に実施した住民意向調査では、双葉町に「戻りたいと考えている」と回答した人は11.3%で、「まだ判断がつかない」が24.8%、「戻らないと決めている」が60.5%となっている。双葉町は今後、どのようになって行くのだろうか。
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松川浦へ
 双葉町での見学を終えて、昼食場所の松川浦へ向かう。バスは国道6号を走り、浪江、小高、原町、鹿島を過ぎて行く。沿道には、建物は残っているが人の住んでいない家屋や、閉鎖された店舗、事業所が散見され、震災から11年を経た今も爪痕は修復できていない。相馬で国道6号を右に折れ、県道38号「相馬亘理線」に進入。松川浦の街並みへと入ってゆく。
 松川浦の街並みは、間に横たわる低い丘陵によって、南の尾浜と北の原釜に二分される。バスは尾浜の街を走っているが、大津波の被害を受けて活気を失っている。昔のことだが、焼ガレイを買い、近くの神社の石段に座って食べたことを思い出す。もう一度、鮮魚や焼き魚を売る店で賑わっていた頃のように、焼きたてのイカやカレイを買って、道端でかぶりつきたいものだ。
 本日の昼食場所、相馬復興市民市場「浜の駅松川浦」に到着。浜の駅は、大津波で被災した相馬市沿岸部の産業振興を図り、2年前にオープンばかりの新しい施設で、それなりに賑わっている。かつては、街なかに向いていた観光客の足が、今は浜の駅に移っているのだろう。
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浜の駅 松川浦
 浜の駅で地魚丼を食していると、聞き覚えのあるメロディが流れてきた。おや、この歌は辺見マリの♪「経験」じゃないか? 真新しい店内と、古い昭和の歌謡曲。ミスマッチだが辺見マリは歌い続ける。「やめて 愛してないなら やめて くちずけするのは♪」 真っ昼間から、何だこれは。同じ昭和歌謡なら、北島三郎の♪「北の漁場」を聴きながら地魚丼を喰いたいものだ。
 食事のあとは買い物。店内では水産物、農産物など、いろいろ揃えて売っている。調理をしたことがないので、何を買えば良いのか見当がつかないが、安かったので松川浦名産「あおさ」を大量購入。ついでに木乃幡の凍天2個と、孫への土産に金平糖を3袋購入。この金平糖を孫は喜んでくれるかな?
 浜の駅に隣接して原釜尾浜海水浴場が広がり、その先の人工磯には、ハラガマテラスという西洋風あずまやが建っている。青空の下で見るハラガマテラスはまるで地中海。すこぶるインスタ映えするのだが、今日は曇天、海は灰色、どんよりしている。で、晴れた日にはどんなふうにインスタ映えするかって? 昨年、晴れた日に撮影した写真を1枚掲載しよう。
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道の駅 かくだ
 バスは「浜の駅松川浦」を出発。右手にハラガマテラスや相馬市伝承鎮魂祈念館を眺めながら、相馬港に差しかかる。相馬港は相馬市と新地町にまたがる重要港湾で、背後の工業団地には、相馬共同火力発電の新地発電所が立地している。県道38号は信号が少なくて走りやすいが、なんだか寂しい。沿道の釣師浜や中浜の集落は津波で壊滅。何にもなくなった地面に、山元町震災遺構の中浜小学校がぽつんと建っていた。
 「道の駅かくだ」で休憩。白を基調としたトイレがきれいだ。昔、ソフトクリームは子供が食べるものだと思っていたが、今ではオジさん、オジイさんも喜んで食べる。そんなわけでソフトクリームを注文。コーンの中にクリームがビッシリだと嬉しいが、少し空洞があって残念。こんなことで一喜一憂するなんて、俺はやっぱり小市民。
 あとは大河原に帰るだけ。日帰りの短い研修旅行だったが、意義ある旅だった。2022年10月1日現在、双葉町の人口はゼロ。住みたくても住めないのだ。大震災と原子力災害で散り散りになった人たちの、望郷の念を思えば同情せずにはいられない。

(地図:Illustrator)

旅行:2022年10月17日
執筆:2022年11月24日
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