地理と地域旅行記
霊山の秋
制作:千本桜 歌麿
設置日:2023.2.4
E-mail:tiritotiiki@gmail.com

旅行:2022年11月12日
執筆:2023年2月4日



霊山 案内図
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 友達から旅の誘い。霊山(りょうぜん)へ行きたいので案内してくれという。しかし、霊山のどこへ行って何をしたいのか、そこのところが伝わってこない。そうか、とにかく「霊山」と呼ばれる所へ行きたいのだな。天気は秋晴れ、絶好の行楽日和である。途中で梁川八幡神社と希望の森公園に立ち寄り、昼まえには霊山に到着。まきばのジャージーでアイスクリームを味わい、紅彩館で昼食。登山口の駐車場から霊山の山並みを眺めたあと、紅葉の名所、霊山神社へと向かった。



まきばのジャージー
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 まだ昼食には早いので、まきばのジャージーに車を走らせた。まきばのジャージーは、国道115号に面した三角屋根のアイスクリーム屋さん。メニューは抹茶、ゴマ、チョコレートなど色々あって目移りするが、まだ食べたことのないラズベリーを注文。屋外のベンチに座って一口ほおばる。ウヒョー、この美味さはなんなんだ。ミルクとラズベリーの絶妙なハーモニー。ウクライナでは戦争をしているというのに、こうして笑いながらアイスクリームを味わうことができる幸せ。日本に生まれて良かった。



りょうぜん紅彩館
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 まきばのジャジーから車で2分、りょうぜん紅彩館(こうさいかん)に到着。紅彩館は基本的に旅館だが、日帰り客も利用できる入浴施設とレストランを備えている。時刻はちょうど昼食どき。スリッパに履き替えてレストランへ。思いのほか空いていたので窓辺の席に着席した。レストランとすれば、窓辺のテーブルには絵になる若いカップルに座ってほしいだろうが、俺たちじゃ絵にならないな。ランチは伊達鶏の唐揚定食を注文。伊達鶏は放し飼いされ、無薬飼料で育てられているそうだ。



霊山 紅彩館から登山口へ
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 紅彩館には霊山の湧き水を使用した入浴施設がある。パンフレットには「大浴場」と書いてあるが、秋保温泉の大規模旅館の大浴場に比べると、ずっと小規模なようだ。しかし「名峰霊山を一望できる大浴場」と宣伝されると、入浴したくなるのが人情。紅彩館のお風呂は入浴したことがないので楽しみにしていたが、唐揚げ定食で満腹になり、もう動くのも億劫である。残念だが入浴はあきらめ、ともかく登山口の駐車場まで行って霊山の紅葉を眺めようと、車を走らせる。



霊山 登山口駐車場
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 紅彩館から1分、登山口の駐車場に到着した。うわぁ、混んでる。ほぼ満車状態。しかも、観光バスまで停まっている。それでも駐車できたのはラッキー。数年前に訪れたときは緑色の風景だったが、今は赤、橙、黄色の秋景色。紅葉のピークを過ぎてはいるが、青空をバックに色が鮮やか。若ければ霊山登山に挑戦したかもしれないが、もう無理である。なにしろ霊山は岩の山。ハシゴやクサリを使ってよじ登ったり、崖のそばを歩くのだそうだ。高所恐怖症の人間には拷問だろう。



霊山 駐車場からの展望
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 駐車場からは、奇岩怪石の霊山が間近に見える。登山地図には、見下し岩、護摩壇、霊山城跡などの名称が記してあるが、地図と風景を照合するのは意外に難しい。「見下し岩」ってどこ、「護摩壇」ってどこ。写真に名称を書き入れてみた。たぶん、離岩、宝寿台、見下し岩はここ。しかし、駐車場からは、奇岩つらなる国司沢や、霊山最大の見どころとされる護摩壇、南北朝時代に築かれた霊山城の跡などは見えないようだ。こんな山の上に霊山城があったなんて、にわかには信じがたい。



霊山 離岩
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 霊山は玄武岩の溶岩台地で、たくさんの奇岩怪石が山全体に点在している。国土地理院の地形図に「離岩」と記された岩がある。形状から判断して、写真右側の孤立した岩が離岩に違いない。駐車場から眺めると、とても目につく印象的な岩である。登山道は、この岩の裏側の谷筋を通っている。ルート沿いには、鍛冶小屋岩や日暮岩、弁天岩があり、さらに進むと、五百羅漢岩、蟻の戸渡り、東物見岩へ到達する。ここからは見えないが、東物見岩は標高は825m、霊山の最高峰である。



霊山 宝寿台と見下し岩
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 写真右側の「宝寿台」と左側の「見下し岩」は、ともに眺望の良い絶景スポット。宝寿台へは急な鉄ハシゴを伝って登るらしい。その左側の岩場が見下し岩。「みくだしいわ」ではなく「みおろしいわ」と読む。見下し岩は人気スポットで、この日も岩場に人の姿が見えた。彼らは駐車場の俺たちに向かって、オーイ! ヤッホーと叫びながら、はしゃいでいるに違いない。友達は霊山登山に興味を持ったようだが、次の目的地が控えているのでカット。さあ、これから霊山神社へ行きますよ。



霊山神社 案内図
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 霊山神社の鳥瞰図(ちょうかんず)を描いてみた。霊山神社は小高い山の上に建っている。おおよその標高は、参道入口の平坦地が140m、神社の境内が220mだから、比高は80mになる。参道は表参道と西参道の2本。図右側の表参道は階段の登り坂。80mの高低差を歩いて登るのは結構きつい。図左側の西参道は車で登れるが、急傾斜の急カーブ。中間駐車場から上は道幅狭く、すれ違い困難。境内前の駐車場付近は激坂で、これには参った。神社にお参りする前に、参ってどうする!



霊山神社 御由緒
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 霊山神社は霊山のふもと、伊達市霊山町の大石地区に鎮座する。御祭神は、南北朝時代に陸奥国を鎮定し、霊山に国府を構えた北畠一門の4柱。創建は明治14年と比較的に新しいが、旧社格は別格官弊社(かんぺいしゃ)だから格式の高い特別な神社である。別格官弊社とは、皇室と日本のために特別な功労があった歴史上の人を祀っている神社で、全国に28社ある。靖国神社や、楠木正成を祀った湊川神社、徳川家康を祀った東照宮などが名を連ねているところをみると、確かに格式が高そうだ。



霊山神社 表参道の大鳥居
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 霊山神社には、石段を歩いて登る表参道と、車でも登れる西参道がある。まずは表参道の大鳥居前に駐車。「別格官弊社霊山神社」と刻まれた大きな社号碑と、由緒書きの看板が設置してあり、大鳥居の奥には長い石段が延びている。霊山神社は40年ぶり2度目の訪問だが、境内の様子はほとんど記憶がない。それなのに、急坂の長い石段があったことだけは鮮明に憶えている。でも、この歳して、この石段を登るのはきついよ。やっぱり上まで車で行こう、というわけで西参道へ向かった。



霊山神社 西参道の入口
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 表参道から2分で西参道入口に到着。道路脇には車輌登拝口の看板が立っている。この地に霊山神社を造営するにあたっては、こんな話がある。当初、大石村が推す現在地と、隣の石田村が推す山上の霊山城跡地が候補となったが双方譲らず、最終的には伊達郡長の裁定に委ねられた。その結果、山道けわしく造営費が増大する石田村案が却下され、山麓の大石村案が採択されることになったそうだ。もし、石田村案が採択されていたなら、霊山神社は奇岩つらなる霊山の山上に建っていただろう。



霊山神社 西参道の大鳥居
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 昔は表参道を歩いて登ったが、今は車で西参道を進むのが主流のようだ。西参道の入口には大鳥居が建ち、トイレがあって駐車場も舗装してある。車も何台か停まっているところをみると、やはりこちらがメイン参道である。奥の方には南方部会館という大きめの建物も見えるが、たぶん地域住民の集会所だろう。左手には北畠顕家(きたばたけあきいえ)の銅像もある。北畠顕家は鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての公卿であり武将であるが、今は霊山神社の御祭神として祀られている。



霊山神社 斎館裏手の上り坂
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 西参道の駐車場は3ヶ所。入口、中間、境内前に配置してある。では、境内前の駐車場を目指してスタートだ。しかし、この参道はクセ者。 延長500mほどの短い道路だが、急傾斜で急カーブ。中間の駐車場から先は道が細くなり、マイクロ車以上は進入禁止。右は崖。対向車がきたなら、すれ違えない。石垣の上に建っているのは斎館。このあたりで道路の傾斜は絶頂に達する。急傾斜でせり上がった坂道が、壁のように立ちふさがって視野をさえぎる。おぉ〜怖い。前が見えない。



霊山神社 境内前の駐車場
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 境内前の駐車場は、車道より一段低い所にある。難関の急坂を上りつめた瞬間、駐車場に向かって一気に下っていく。上下変動が激しすぎ。こんな所で対向車に出くわしたらアウトだろう。それにしても、この細道、急坂、急カーブは難所だ。中間の駐車場に車を置き、そこから歩いてきたほうが良かったかな。駐車場は未舗装だが、うまく停めれば10台ほどは駐車できそう。トイレも設置してある。この先の境内にはトイレがなさそうなので、ここで小用を足していこう。



霊山神社 表参道の石段
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 境内へ向かって歩くと、右手に見覚えのある石段が見えた。表参道の石段だ。懐かしや懐かしや、40年ぶりに見る石段だ。この石段を初めて見たのは緑に染まる季節で、幻想的で美しいと感じたものだ。時がたち、記憶の中の緑は色あせて薄いグレイに変色しているが、ますます幻想的な風景となって脳裏に焼きついている。今は秋。枯葉を敷いた表参道を、高齢のご婦人がひとり、杖をついて登ってくるのが見えた。この長くて急な石段を、下からずっと歩いてきたのだろうか。



霊山神社 手水舎
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 駐車場から徒歩1分で境内に到着。最初の建物は手水舍だ。手水舍は「ちょうずや」と読むのが一般的だが、神社本庁のHPには「てみずや」と書いてある。手水の作法は、1・右手で柄杓を取ります。2・水盤の水を汲み上げ、左手にかけて洗います。2・柄杓を左手に持ち替え、水を汲み上げ右手を洗います。3・再び柄杓を右手に持ちかえて、左手のひらに水を受けて溜めます。4・口をすすぎます。柄杓に直接口をつけないようにしましょう。静かにすすぎ終わって、水をもう一度左手に流します。



霊山神社 百度石
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 神門の手前に百度石がある。この百度石を見たとたん、マヒナスターズのヒット曲、♪「お百度こいさん」がひらめいた。百度石に切実な願いをかける人もいるだろうに、不謹慎にも頭の中をマヒナスターズの甘い歌声が流れる。「くすり問屋のあの人に どうぞ添わせておくれやす」と、お百度まいりする一途な女ごころを唄っているが、翌年発売の♪「惚れたって駄目よ」では一変し、「このままも少し蕾でいたいのよ あなた男でしょ 惚れたってだめヨ」と、逆に男をじらす女心を唄っている。



霊山神社 神門
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 手水舎で手口を清めて神門へ。大きな注連縄が飾られた神門は四脚門で、屋根は切妻、鉄板葺。えんじ色に塗装してある。ここは、奇岩怪石で有名な霊山山頂から直線で5kmも離れた里山だ。大石村はなぜ、この里山に霊山神社を誘致したのだろう。神社の住所は大石字古屋舘(こやだて)という。地名から推測すると、この里山は北畠氏の故地と思われるが、まちがっていたら御免なさい。大石村は、北畠一門の4柱を御神体とする霊山神社を、北畠氏の故地に造営したかったのだろう。



霊山神社 境内
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 神門をくぐると、境内は紅葉の真っ盛り。青空の下で色が鮮やか。さすがは隠れたモミジの名所、知る人ぞ知る霊山神社の紅葉だ。このモミジは、京都の嵐山から移植されたと伝えられている。「京都から移植された」と聞くだけで風雅に感じてしまうのは、京都コンプレックスの表れか。しかし、東北地方ではあまり見かけない、美しいモミジである。赤、橙、黄と色が異なるのは、モミジの種類が違うからなのか。樹木に詳しくないので、そこのところが分からない。



霊山神社 社務所
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 霊山神社は神門の外側に手水舍、参拝者休憩所、斎館を置き、内側には社務所、神楽殿、拝殿、本殿などを配置している。神門をくぐって最初の建物が社務所である。社務所では御朱印やお守りをいただけるが、あまり興味が湧かない。特に「おみくじ」には無関心。友達も同様で、社務所を素通りする。それよりも、美しい紅葉に心が動く。俺たち、もう若くはない。こうして、霊山神社の紅葉を眺められるのも、これが最初で最後かもしれない。しっかり、目に焼き付けておこう。



霊山神社 神楽殿
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 社務所の隣に神楽殿がある。ちょっと見て、これが神楽殿かと疑った。意外に床が低く、屋根の形が簡素で物置みたいだ。見慣れている大高山神社の神楽殿とは、雰囲気が違っている。しかし、神楽殿には様々な建築様式があるので、これはこれで良いのだろう。9月には「お月見・雅楽と舞の夕べ」が開催され、この神楽殿で雅楽と舞が奉納されるそうだ。また、4月には境内において伊達市指定の無形文化財「濫觴(らんじょう)の舞」が奉納され、観光客で賑わうとのこと。



霊山神社 掲示板脇の紅葉
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 拝殿に向かって左側、掲示板の脇に、ちょっと気になる色のモミジがある。このモミジ、他と比べて色が地味すぎないか。印刷用語で言うなら、マゼンタ(赤)とイエロー(黄)をかけあわせ、少しシアン(青)を混ぜたような色をしている。えんじ色というか、あずき色というか、とにかく地味な色である。しかし、よく見ると、なかなか良い色じゃないか。渋くて落ち着いた色だ。しかも、枝が大ぶりだから重厚感がある。地面に落ちたモミジの枯葉が、秋の終わりを感じさせる。



霊山神社 拝殿
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 拝殿の屋根は、入母屋、鉄板葺で、えんじ色。いかにも別格官弊社らしく、「皇室弥栄国家安泰」と書いた垂れ幕が吊るしてある。それでは参拝。賽銭箱にお金を入れ、鈴を鳴らしてから、二拝二拍手一拝する。どんな願いごとをしたかって? それは秘密だよ。土曜日なのに観光客は思いのほか少なく、人影を数えてみたら10人ちょっと。年間の観光客数は、会津高田に鎮座する伊佐須美神社の50分の1程度だから、静かな隠れ名所というべきだろう。それにしても、みごとな紅葉!



霊山神社 本殿
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 拝殿の奥にあるのが本殿。本殿の屋根も、えんじ色。大高山神社の屋根色に似ている。本殿は神社の中で最も神聖な場所。ここには北畠一族の四柱が祀られている。本殿のまわりを、ぐるっと一周してみた。神社の建物は謎めいて神秘的。霊山神社はパワースポットなのだそうだ。何がパワースポットなのか分からないが、本殿の屋根の美しいフォルムを見ていると、非日常の世界へ引きずり込まれて、こころが安らぐから不思議。パワースポットって、そういうことなのかな?



霊山神社 敷き紅葉
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 地面に散り積もったサクラの花びらを花筵(はなむしろ)というが、モミジの場合はなんというのだろう。滅多に聞かない言葉だが、敷き紅葉(しきもみじ)や紅葉筵(もみじむしろ)というらしい。観光客が踏み込むことの少ない本殿脇の地面に、敷き紅葉が広がっていた。この季節にだけ現れては消えてゆく、自然が創り出した造形美。艶やかなのに儚くて愛おしい。これは写真写りが良さそうだから、記念に一枚撮っておこう。敷き紅葉が、冬の近さを教えてくれる。



霊山神社 末社 福日稲荷神社
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 本殿の奥に細道が延びている。この奥に足を運ぶ人は少ないだろうが、好奇心に誘われて行ってみよう。色づいた木々に囲まれて、末社の福日稲荷神社が鎮座していた。ここが、霊山神社境内の最奥である。友達は、あいつ、どこへ行ったのかと、いらいらしながら拝殿あたりで待っているだろう。急いで戻らなくては。絶好の旅行日和に恵まれた霊山の旅もそろそろ終わりだ。帰路は霊山寺に立ち寄って、ちょっと見学。喉が渇いたので「まちの駅やながわ」で休憩し、無事帰宅した。

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