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位置図
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福島市松川町に位置する右輪台山(うわだいやま)のしだれ桜は、ガイドブックに登場することも少なく、パンフレットや地図も作られていない隠れ名所である。また、福島市小田の陽林寺(ようりんじ)は紫陽花で知られているが、普段は静かで地味な存在。どちらも知名度は高くはないが、有名になる前に見ておきたいので行ってみた。
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右輪台山のしだれ桜編
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福島松川スマートICから車で5分、右輪台山のしだれ桜並木に着いた。この桜並木は、平成11年に地域住民が協力し、右輪台山の道路両側に苗木を植えたのが始まりとのこと。今ではしだれ桜も大きくなり、300mにわたって花のトンネルが続いている。沿道には縄文遺跡の竪穴住居が再現され、駐車場の周りには赤い花桃も咲いていた。
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しだれ桜並木
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駐車場に車を駐めて桜並木を歩く。並木は300m。108本のしだれ桜が咲いている。ちなみに、宮城県の白石川堤一目千本桜は延長8,500m。1,200本の桜が咲く。大規模な一目千本桜を見慣れた私には、右輪台山の桜並木は少し物足りなく感じる。しかし、この桜並木は行政の手を借りず、植栽から桜祭りまで、地域住民が主体となって実施しているという。人口が少ない集落だから、これは大変な苦労だろう。それを思えば、「頑張って!」と励ましたくなる桜名所である。
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駐車場と花桃
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桜並木の中央には駐車場。それほど広くはないが、十数台は駐められそう。この日は空いていたが、土曜日曜は大混雑だろう。「いっぱい花見客が来るといいですね」と声をかけたら、「ありがたいけど、大変なんですよ」と、係りのオジさん浮かぬ顔。ん、わかるわかる、桜祭りの運営や交通整理でへとへとでしょう。花見客の中には、自分勝手に怒鳴り散らすバカもいるだろうし‥‥。駐車場には深紅の花桃が、しだれ桜に負けじと咲いていた。
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縄文遺跡竪穴住居
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しだれ桜並木の沿道に縄文遺跡の竪穴住居。なぜ、こんな所に。もともと右輪台山では土器などが出土していたが、農道整備の際の発掘調査で竪穴住居跡を発見。それで、竪穴住居を再現したらしい。遺跡の名称は「宇輪台遺跡」と書く。でも何か変だぞ。ここは水原字右輪台。遺跡には字名を冠するのが一般的だから、「右輪台遺跡」と書くべきなのに、なぜか「宇輪台遺跡」と書いてある。単純ミスか、それとも深いわけがあるのか、謎である。
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陽林寺編
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右輪台山のしだれ桜から車で15分、木々が芽吹き始めた陽林寺に到着。観光地としては地味な存在だが、立派な山門、四季折々の花手水、本堂の吊るし雛、そしてお地蔵さんたちが待っている静かなお寺だ。陽林寺には5千株の紫陽花が植えられ、6月下旬から7月上旬にかけては、紫陽花を見に来る参拝者が多いという。
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陽林寺の境内案内図
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駐車場の奥に「境内及び史跡案内図」が設置してあった。これがあると大いに助かる。陽林寺は福島市指定の史跡・名勝だから、歴史好きな観光客が多いのだろう。しかし、この日は平日。とても静か。時刻は昼の12時。境内で見かけた人は二、三人。山門を潜ると、正面に本堂、左に衆寮(しゅりょう)、右に庫裡(くり)が建っている。
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陽林寺の山門
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この山門を見たくて陽林寺へやってきた。想像通り、なかなか立派な山門だ。江戸時代の建物と思っていたが、完成したのは昭和10年。思いのほか新しい。それなのに古風で荘厳。山門は二階建て。いわゆる楼門だ。楼門を観ると非日常の世界へ引きずり込まれる。門の左右に阿吽の仁王像。周囲の景色は木々が芽吹いてパステルカラーだ。
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手水舎
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山門を潜って手水舎(ちょうずや)へ。ここで手と口を清める。目の前に小さな八体地蔵。お地蔵さんは一体ずつ違う顔。どれもかわいい。自分も子供のころは、こんなふうだったのかな。手水舎は四季折々の花で飾られ、梅雨の季節は紫陽花の花手水になるという。陽林寺は、あちこちに「おもてなし」の心が感じられるお寺である。
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鐘楼
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手水舎から石段を登って鐘楼へ。落成した年代は分からないが、まだ新しい感じの建物だ。横から見ても立派な造りだが、下から見上げるとさらに立派。鐘楼の周りには、春の桜、夏の紫陽花、秋の紅葉が植えてある。陽林寺には樹齢450年のしだれ桜があるそうだが、見落としてしまった。本堂の戸が開いている。行ってみよう。
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本堂と吊るし雛
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陽林寺を開いた伊達稙宗(だてたねむね)は、伊達政宗の「ひい爺さん」。本堂の棟には「三引両」と「竹に雀」の伊達家紋章。今では、福島よりも仙台を連想させる紋章だ。本堂に入って賽銭投入。廊下には吊るし雛がぶら下がっている。色が鮮やか。ちなみに、日本三大吊るし雛は、山形県酒田、静岡県稲取、福岡県柳川の吊るし雛らしい。
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衆寮(しゅりょう)
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本堂に向かって、右に庫裡、左に衆寮が建っている。「衆寮」と書いて「しゅりょう」と読む。でも、衆寮って何だ。調べると、「禅寺が衆僧のために設けた寮舎。僧が声を出さないで経文を読んだり、説法を聞いたり、喫茶などを行う場所」と書いてある。衆寮の周りは美しく手入され、木々の芽が早く葉を開きたくてウズウズしているようだった。
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伊達実元公の墓
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本堂の裏手に伊達実元(さねもと)の墓がある。実元は稙宗の三男で、信夫郡大森城の城主。陽林寺は実元の保護のもと、33の末寺を持つほど栄えたという。今風にいうと、実元は陽林寺のスポンサー。実元の墓から、衆寮の裏手にある池へ向かって散策。傾斜地は紫陽花の群れ。梅雨時に再訪し、紫陽花の花越しに伽藍を眺めたいものだ。
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お地蔵さん
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お地蔵さんに見送られ、陽林寺を後にする。杉の切り株に彫られた二体の地蔵。水色のマフラーを巻いた六体地蔵。檀家さんに赤い布を着せてもらった八体地蔵。みんな手を合わせて整列している。お地蔵さんは今日もまた、なんにも言わずに立っているのだろう。陽林寺から福島松川スマートICまで15分、福島西ICへも15分で到着する。
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