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山形県寒河江市の慈恩寺(じおんじ)は、開山約1,300年の歴史を持つ古いお寺です。2014年に旧境内一帯が国史跡に指定。2021年には史跡慈恩寺旧境内ガイダンス交流拠点施設(愛称:慈恩寺テラス)も完成して、新たな観光地として注目されています。
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旅行コース
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8月、晴れた日の朝。村田インターから高速道を通って慈恩寺へ向かった。山形道の寒河江インターで国道112号に降り、道の駅寒河江(愛称:チェリーランド)で休憩。道の駅から慈恩寺までは車で5分。慈恩寺テラスに駐車して慈恩寺境内を散策。その後は寒河江花咲か温泉「ゆ〜チェリー」で入浴し、天童のイオンモールで昼食。午後は、変貌いちじるしい天童・東根の市街地を観察。関山峠を越え、作並・秋保経由で帰着した。
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寒河江へ
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村田インターから東北道に乗り、村田ジャンクションで山形道へ進入。笹谷トンネルで奥羽山脈を突き抜ければ、そこは山形県。寒河江インターを目指して西へ進む。寒河江は山形県の中央部、西村山地域の中心都市。サクランボの名産地だが、商工業もそれなりに活発。山形道が完成した当時、メディアは「全ての道は村田に通じる」とか、「山形道の開通で最も恩恵を受けるのは寒河江である」と報じていた。
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村田インターチェンジ
笹谷トンネル 山形ジャンクション |
道の駅 寒河江
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道の駅寒河江(愛称:チェリーランド)に到着。9時の開店を待ち、早速ソフトクリームを注文。注文ついでに店員さんに質問。寒河江の「ゆ〜チェリー」、または天童の「ゆぴあ」で一風呂浴びたいのですが、どっちがおすすめ? と尋ねると、寒河江の「ゆ〜チェリー」との返事。お言葉に従い、慈恩寺見学の後は「ゆ〜チェリー」で入浴することに決定。この辺りの寒河江・天童・村山には、大規模な日帰り温泉施設が揃っているのだ。
道の駅寒河江には「トルコ館」という、一風変わった建物がある。なんでトルコなんだろう? トルコは世界一のチェリー生産国。寒河江もサクランボの名産地。そのような訳で、寒河江とトルコのギレスン市は姉妹都市。トルコ館はその繋がりらしい。ちなみに、サクランボの生産量日本一は東根で、寒河江は第3位。しかし、それでも寒河江が「日本一さくらんぼの里」を謳い文句にしているのは、サクランボを育ててきた長い歴史を大切にしているからだろう。
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チェリーランドさがえ
トルコ館 |
慈恩寺テラスと案内図
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道の駅寒河江から車で5分、慈恩寺テラスに着いた。慈恩寺テラスは、慈恩寺の歴史などを紹介するガイダンス施設で入館無料。2021年にオープンしたばかりの新しい観光スポットです。常設展示室やシアタールームのほかに、休憩所の「寺そば・寺カフェ」や、ちょっとした物販コーナーもあります。境内を散策する前に慈恩寺テラスに立ち寄り、大型シアターや巨大ジオラマを見て慈恩寺のことを予習しておきましょう。ここで案内図をもらい、慈恩寺境内へ登って行きます。
慈恩寺は、先祖の供養や葬儀をするためのお寺ではありません、現世の利益を祈るために建てられた祈願寺です。江戸時代の慈恩寺は、最上院(さいじょういん)・宝蔵院(ほうぞういん)・華蔵院(けぞういん)の3つの寺があり、その下に善竹坊・禅林坊・證誠坊など48の坊(出家した僧侶や修験の住まい)がありました。さらに雑務を担う一山役人、寺侍や家来などもいる巨大祈祷寺院で、それらを全部まとめて慈恩寺と言います。しかし、明治時代に御朱印地がなくなったことが影響し、現在では坊の数が48から17に減少しています。 案内図には3院17坊のほかに駐車場・トイレなども記載してあり、わかりやすくて重宝したので掲載しておきます。なお、3院(最上院・宝蔵院・華蔵院)の境内へは自由に入れますが、坊については屋敷内立ち入り禁止です。坊は見た目には普通の民家ですから、一般の観光客はさほど関心を持ちません。観光客が主に向かうのは、案内図に「赤バック白抜き文字」で明記された山門・本堂・三重塔などです。
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案内図
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仁王坂展望休憩所
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慈恩寺テラスから山門へ続く仁王坂を登ります。仁王坂は結構な急坂です。上まで登れる車道もありますが、元気な人は慈恩寺テラスに駐車して、仁王坂を歩いて登りましょう。あぁ、しんどい。坂を登った所で仁王坂展望休憩所を見つけ、ホッと一息。目の前には寒河江の田園風景が広がっていました。
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展望休憩所
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最上院
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慈恩寺の山門へ向かって進むと、右手に最上院の門が見えてきました。最上院は慈恩寺3院の1つ。立派な造りの門ですが廃寺のように静かです。こういうのに心が惹かれるんだよな。しかし、最上院は廃寺ではありません。四つ角に位置する最上院は、別の道路に面しても門を構え、普段はそちらの門を使用しているようです。すると、この門は旧門または裏門になるのかな?
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最上院の門
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慈恩寺 山門
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参道の正面に慈恩寺の大きな山門が見えます。山門は江戸時代1736年に再建されたもので、県の指定文化財になっている。お〜立派な楼門だ。楼門は2階造りの門のこと。重厚で華やかさも兼ねそなえた楼門に、妖しい美しさを感じるのは私だけだろうか。「これから異次元の世界へ入っていくぞ!」という気持ちが湧いてくる。お寺や神社は建物の見せ方が上手いな。
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山門と石段
山門正面 山門背面 |
慈恩寺 本堂
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山門をくぐると目の前に本堂が建っている。慈恩寺は奈良時代に開山したが、その後に何度か消失し、現在の本堂は江戸時代1618年に最上氏によって再建された。本堂は弥勒堂とも呼ばれ、茅葺き屋根の重厚な造りで国の重要文化財。堂内には本尊弥勒菩薩像をはじめ何体もの秘仏が安置されいて、それらも国の重要文化財です。
ところがなんと、約70年ぶりの茅葺屋根全面改修工事中とやらで、外観さえ見ることができない。ガクッと拍子抜け。工事中とは知らなんだ。ここで、脳内を細川たかしのヒット曲「心のこり」が流れる。♪「私バカよね おバカさんよね〜」。下調べしないでくるなんて、バカなことをしたものだ。あきらめきれず、本堂の間近まで近づいて写真を1枚撮りました。
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工事中の本堂
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慈恩寺 薬師堂と阿弥陀堂
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慈恩寺の本堂に向かって右側、杉木立の中に薬師堂と阿弥陀堂が並んで建っている。左が薬師堂、右が阿弥陀堂で、ともに江戸時代の元禄年間に建てられたものです。薬師堂には木造十二神将立像(もくぞうじゅうにしんしょうりゅうぞう)と木造薬師如来及両脇侍像(もくぞうやくしにょらいおよびりょうきょうじぞう)が祀られ、阿弥陀堂には木造阿弥陀如来坐像(もくぞうあみだにょらいざぞう)が祀られている。いずれも国の重要文化財です。
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薬師堂と阿弥陀堂
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宝蔵院
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阿弥陀堂の脇を左に曲がって宝蔵院へ。宝蔵院は慈恩寺3院の1つ。苔むす石段を登って山門(表門)へ。この表門は江戸時代の慶長年間に建てられた。慈恩寺に現存する最古の建造物といわれ、県の指定文化財となっています。表門をくぐって宝蔵院の本堂へ進む。時刻は10時40分。観光客の一人や二人はいそうなのに、平日のためか誰もいない。
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宝蔵院表門
宝蔵院本堂 |
華蔵院
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宝蔵院を出て華蔵院へ向かった。華蔵院も慈恩寺3院の1つ。子安地蔵尊の看板の先に「寅さんの腰掛石」がある。なんだろう、これは。寅さんって、あの寅さんのことかな? 慈恩寺は映画「男はつらいよ 葛飾立志篇」のロケ地で、この石は渥美清さんが座って景色を眺めていた石だという。1975年公開の映画だから、50年近く昔の話です。マドンナ役は、あの「おはなはん」の樫山文枝さんだった。
華蔵院の山門は「寅さんの腰掛石」の右隣りにある。山門をくぐり、子安地蔵堂と本堂に参拝。華蔵院の本堂は江戸時代1847年の再建で、3院の中では最も大きな伽藍に見えた。向背には立派な龍の彫刻が施してあり、渋くて重厚な感じ。それなのに、ここも宝蔵院と同じで観光客は誰もおらず、静かな空間を独り占め。境内を一巡し、通用門を通って外へ出た。
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華蔵院山門
寅さんの腰掛石 子安地蔵堂 華蔵院本堂 華蔵院通用門 |
慈恩寺 鐘楼
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華蔵院の次は慈恩寺の鐘楼へ。鐘楼は土台石に柱を載せただけの礎石建て。素朴な茅葺き屋根の、ひなびた感じがたまらない。なんだか昔話の中にいるようだ。初めて見るのに懐かしくなるから不思議です。でも「土台石に柱を載せただけ」と簡単に言うけれど、礎石建ては高度な技術が必要だと思う。この鐘楼は江戸時代1683年に再建されたもので、市の指定文化財になっています。慈恩寺の除夜の鐘は2009年の大晦日に、NHK「行く年来る年」で全国放送されました。
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鐘楼
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慈恩寺 三重塔
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あちこち歩き回って疲れたが、三重塔を見逃すわけにはいかない。本堂脇の大師堂と釈迦堂を素通りして三重塔へ向かった。もとの三重塔は江戸時代1608年に建てられたが焼失。現在の三重塔は1830年に再建したもので、県の指定文化財となっている。塔内には鎌倉時代1263年に彫られた大日如来像が安置されていて、これも県の指定文化財です。塔の高さは26.7m。ちなみに、柴田町船岡城址公園の平和観音像は台座を含めて24mだから、似たような高さである。
ところで、三重塔や五重塔はあるのに、四重塔や六重塔がないのは何故だろう。この素朴な疑問、前々から気になっていたが調べもしないで放置していた。この際だから調べて見ると、塔のように上昇する形の物は奇数で表し、横に広がるものは偶数で表すという答えにたどり着いた。もちろん確証のない答えだが、こんなことを考えながら散策するのも旅の楽しみの1つである。
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三重塔
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熊野神社と宝徳寺
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三重塔から坂道を下って熊野神社へ。熊野神社は平安時代1156年の創建だが、その後に焼失。現在の熊野神社本殿は江戸時代1681年に再建されたもので、県の指定文化財です。杉木立ちの中にあるためか、ちょっと暗めで静かです。熊野神社の斜向かいは宝徳寺。こちらはチェーンが張られていて敷地の中には入れない。どんなポジションのお寺か知らないが、人の気配がしない。無住職の寺かな?
この日の慈恩寺は観光客の姿が少なくて静かだった。目玉となる本堂が改修工事中とはいえ、ちょっと寂しい。慈恩寺はまだまだ知名度不足。もっと多くの人に足を運んでもらいたい。そんなことを思いながら、鳥居坂を下って慈恩寺を後にした。さあ、これから温泉に入りに行くぞ!
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熊野神社
宝徳寺 |
ゆ〜チェリー
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あまり知られていないが、寒河江は隠れた観光都市である。令和4年度の観光客数は山形・鶴岡・米沢に次いで県内4位。ただし、多くは県内客で、県外からの客が少ないのが悩みのタネ。観光スポットは、市街地の北部に道の駅寒河江、中央部に寒河江公園、南部に最上川ふるさと総合公園を配置し、理想的な布陣だ。しかも、インターチェンジとサービスエリアが好位置に設置してある。「山形道の開通で最も恩恵を受けるのは寒河江である」と言った人の言葉を実感する。
慈恩寺を出て中心街の本町へ。本町は寒河江のド真ん中。例えれば銀座4丁目だ。左折すると市役所、右折すれば寒河江駅。昔、本町交差点の角には十字屋寒河江店があったが、今はフローラ・SAGAEという名の複合施設になっている。寒河江も商業活動が郊外にシフトし、中心街に人影は少ない。しかし、電柱が取り払われ、広い歩道が設置された街並みは開放的で気持ち良い。 駅前の交差点に「ようこそ寒河江温泉」の看板が立っている。寒河江に温泉のイメージは薄いが、駅前周辺に9軒の旅館が立地する温泉場でもある。しかし、どの旅館も宿泊客の収容力は小さく、全旅館を併せても収容力は秋保温泉の佐勘・ニュー水戸屋といった大規模旅館の1軒分に満たない。そんな寒河江温泉から南へ2km。最上川ふるさと総合公園(別名:チェリークアパーク)へ行ってみた。 最上川ふるさと総合公園は、寒河江サービスエリアと一体になったハイウエイオアシスだ。その一画にお目当の日帰り温泉「ゆ〜チェリー」がある。村山地方では天童最上川温泉「ゆぴあ」と並ぶ大規模な日帰り入浴施設で、男女それぞれに浴槽が3つあり、全て源泉掛け流し。露天風呂・サウナ・売店・食堂もあって施設が充実している。これで入浴料350円だからコスパ最高! 寒河江にはチェリーランドをはじめ、チェリークアパーク・チェリーナ・チェリー不動産などチェリーがいっぱい。ゆ〜チェリーの隣には8階建てのチェリーパークホテルもある。チェリーだらけで紛らわしいだろう! 「日本一さくらんぼの里」を謳い文句にしている寒河江は、チェリーで攻めまくり。
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ゆ〜チェリー
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天童・東根・村山
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「ゆ〜チェリー」で一風呂浴びたあとは天童・東根・村山へ。この3市の市街地は、ほぼ途切れなく連続し、激しい都市間競争を繰り広げている。下克上の世界だ。山形県最大の大型店「イオンモール天童」で少し遅めの昼食。「とんしゃぶ」を注文。イオンモールを抱える天童の商圏は広域で、東根・村山・寒河江はもちろん、尾花沢や新庄からも買い物客がやってくる。
天童の市街地を南北に貫く羽州街道。この道を通るのは久しぶりだ。おや、一日町(ひといちまち)の街並みが美しく変身しているぞ。セットバックで道路を拡幅し、広い歩道を設け、電信柱と電線を取り払い、街路樹には「街道と宿場」をイメージさせるクロマツを植栽。さらに、建物の外装を和風で統一。みごとな街並み修景だ。本町の駅前通り交差点に差し掛かる。ここは天童のヘソ。左折すれば天童駅、右折すれば天童温泉だが、直進して東根へ向かった。 「チェリー」で攻めてくる寒河江に、東根は「さくらんぼ」で応戦する。さくらんぼ東根駅・さくらんぼ薬局・さくらんぼマラソンなど「さくらんぼ」を乱発。だが、東根にはもっと強力な都市戦略兵器がある。臨空工業団地のスリーエム、大森工業団地のTHK・京セラ・カシオなどの工場群だ。製造品出荷額は米沢に次いで県内2位。それに加え、神町駐屯地には2,600人の隊員が勤務している。東根は市外へ通勤する人よりも、市外から通勤してくる人の方が多い産業都市なのだ。 車は、さくらんぼ東根駅前に広がる新市街へ入って行く。お〜、道幅が広い。この歩道の広さは何なんだ。贅沢すぎるほど余裕のある空間。道路標識は、左折「さくらんぼ東根駅」、右折「東根市役所」を示している。ここは右折して市役所方面へ進む。さくらんぼ東根駅前通りには7、8階建てのホテルが2軒。ちょっと都市的な景観。その先にはイオン東根店が構え、周囲にはケーズデンキ・カワチ薬品・ユニクロなどが張りついている。ここが果樹畑の広がる農地だったことを知る人には信じがたい光景だろう。 しかし、東根の新市街は密集感に欠け、大味でガランとしている。まだまだ伸び代があるようだ。ポテンシャルの高さは地価に反映される。山形県の都市別最高路線価ランキングは、1位が山形(山形駅前大通り)で、2位が東根(さくらんぼ東根駅前通り)である。ライバルの天童や、先輩都市の酒田・鶴岡・米沢を抑えての2位はアッパレ。「さくらんぼ」を冠しているので可愛らしいイメージだが、実は闘志みなぎる熱血漢。今、さくらんぼ東根駅前通りがヒートアップしている。 東根は、東洋経済新報社の「住みよさランキング2023」で東北・北海道地区のトップという快挙を成し遂げた。自治体は住みよい町づくりを目指し、人口獲得と税収確保に励むが、なかなか思うようにいかない。そのようななか、戦略的まちづくりを展開し、人口増と税収増に成功した東根に花丸をあげたい。村山や尾花沢の市民には、住んでみたい憧れの街に映っていることだろう。 新市街を離れ、旧市街へ行ってみた。東根は室町時代に城が築かれた城下町。江戸初期に城は廃止されて陣屋町となったが、本来の「東根」はこの旧市街を指す。車は「大けやきラ・ラ・ラ通り」を走行。この街路は旧市街のメインストリートだが、寂れた街並みに「ラ・ラ・ラ感」はない。初めて東根を訪れたのは50年ほど前だが、その時も市らしからぬ貧弱な街並みに拍子抜けしたものだ。もともとの東根はその程度の街で、昔は隣町の村山市楯岡の方が都市的だった。 しかし、東根が新市街を形成したことで、両市の関係は逆転した。市制施行は東根が昭和33年、村山が昭和29年。少し村山が先輩。当時の人口は双方とも約4万人でほぼ互角。あれから70年近くを経た現在、東根の人口は4万8千で村山は2万1千。2倍以上の大差がついている。大差がついたのは、そればかりではない。東根の小売業販売額は村山の3倍、製造品出荷額は9倍に膨らんでいるのだ。 昔は東根から村山へ買い物に出かけたが、今は村山から東根へ買い物にくる。就業も同じで、多くの村山市民が東根に通勤している。東根は「住みよさランキング」で県内トップに立つが、村山は県内13市の中で12位と低迷。しかも市域全体が過疎地域に指定されている。両市の市役所はたった6kmしか離れていない。隣接する東根と村山が明暗を分ける。今年12月、村山の荘内銀行楯岡支店が東根支店に統合されて移転した。村山から荘内銀行が消え、東根に吸われて行く。北村山地域の中心都市を自負してきた村山には無念のできごとだろう。容赦なき都市間競争、下克上の世界である。
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天童・東根・村山
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