地理と地域旅行記
気仙沼・高田・大船渡
制作:千本桜 歌麿
公開:2024年1月26日
旅行:2023年10月
文:2024年1月
E-mail:tiritotiiki@gmail.com




宮城・岩手両県を股にかけ、気仙沼・陸前高田・大船渡へ1泊2日の旅をした。東日本大震災の傷はまだ癒えず、遊びを楽しむには少し気が引ける地域ですが、リアス海岸の美しい風景を目に焼き付けてきました。
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旅のあらすじ
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 この日は秋晴れ。気仙沼の大島では亀山と龍舞崎を観光。陸前高田の高田松原津波復興祈念公園では、津波伝承館や奇跡の一本松などを見学。大船渡の海辺に建つ大船渡温泉に宿泊。翌日は穴通船に乗り、海上から碁石海岸を遊覧。再び気仙沼へ。海の市、浮見堂、気仙沼市復興祈念公園を観光したあと、道の駅大谷海岸で休みながら帰途についた。
 



春日パーキングエリア
 岩沼インターから仙台東部道路に乗って北へ走る。仙台港北インターから先は三陸道という道路名になるが、利用者にとっては同じ高速道路である。三陸道で気仙沼方面へ向かうときは、いつも春日パーキングエリアで休憩する。この日も春日パーキングエリアでトイレ休憩。ちなみに、ここは利府町である。
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道の駅 三滝堂
 春日パーキングエリアから50分。三陸道を走って道の駅「三滝堂(みたきどう)」に到着。この道の駅は三陸道三滝堂インターに直結しているので、さながら三陸道のサービスエリアといった感じ。道の駅三滝堂には初めて入店したが、予想以上に混んでいた。この先、三陸道は南三陸町を通過して気仙沼市へと入っていく。
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気仙沼湾横断橋展望スポット
 気仙沼市の浦島大島インターで三陸道を降りる。気仙沼湾横断橋展望スポットはすぐそこ、2分で着いた。駐車場は砂利を敷いた簡素なもので、観光客もいない。昇降階段を上り、防潮堤の上から気仙沼湾をぐるっと一望。横断橋は間近に見えたが運悪く逆光。向きを変え、対岸の魚市場方面を撮影した。安波山(あんばさん)もきれいに写っている。
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鶴亀大橋展望台
 次に、気仙沼大島大橋(愛称:鶴亀大橋)へ向かった。鶴亀大橋は本土の鶴ケ浦と大島の亀山を結ぶアーチ橋。橋を渡って大島に着いた。鶴亀大橋展望台で一休み。展望台は鶴亀大橋を撮影できる絶好の場所だが、邪魔な障害物が散らついて、なかなか消えてくれない。仕方がないので、向きを変えて気仙沼港と気仙沼湾横断橋を撮影した。
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大島 浦の浜
 鶴亀大橋展望台から3分。大島観光の拠点、浦の浜のウェルカムターミナルに到着。道の駅に似た雰囲気だ。敷地内にはシャレた名前の「キッチン*花Fe HATOBA」や「KISSAKO 風カフェ」などの飲食店が並ぶが、店名こりすぎ。「キッチン*花Fe HATOBA」がどんなものかオジサンは想像できない。簡単に「キッチン波止場」と書いてくれないか〜。
 ちょうどランチタイムだ。結局、オーソドックスな店名の海鮮料理「魚研(うおけん)」に入店。海鮮丼セットを注文。ところが、店内にはテーブルがない。「どこで食べたらいいの」と聞くと、「外のテーブルで食べて」とのこと。あら〜、たまげた。カンカン照りや雨の日はどうすりゃいいのさ。
 食後、港に出てみた。橋ができて役目を終えた白いフェリーと新造船の赤い遊覧船が、退屈そうに停泊している。私の記憶にある浦の浜は、定期航路の汽船が着くたびにドッと賑わう浦の浜だ。浦の浜も変わってしまったな。
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亀山にて 気仙沼市街展望
 浦の浜を後にして亀山に登る。標高は235m。昔はリフトで登ったが、今は車で登る。気仙沼市は亀山にモノレールを新設する予定だ。早くできるといいな。亀山からは鶴亀大橋と気仙沼湾横断橋を同時に見渡せる。手前が鶴亀大橋で、後ろが気仙沼湾横断橋。湾の奥には安波山。遠くに岩手県の室根山(むろねさん)も見える。
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亀山にて 早馬山と鮪立集落
 亀山の山頂からは、唐桑(からくわ)半島の早馬山(はやまさん)と、その麓に広がる鮪立(しびたち)の集落が見える。これは絵になる風景だ。ここはどうしても写真に撮りたい。どうか美しく撮れますようにと、藪を分け入ってカメラを構えた。あぁ、津波の傷跡が痛々しい。以前は海岸ぎりぎりまで家屋が建ち並んでいたのに。
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亀山にて 唐桑半島御崎
 三陸には個性的な地名の漁村が多い。岩手県田野畑村の平井賀(ひらいが)・羅賀(らが)などは、その美しい風景と重なって、記憶に残って離れない。唐桑半島にも良い地名がある。半島をなぞるように、鮪立(しびたち)、小鯖(こさば)、崎浜(さきはま)と、集落を目で追った。唐桑半島は崎浜で太平洋に落ちる。その突端が御崎(おさき)で、陸前御崎岬灯台がある。
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亀山にて 田中浜と小田の浜
 亀山からは弧を描く2つの砂浜が見える。手前が田中浜、奥が小田の浜である。小田の浜は海水浴で知られ、令和5年の海水浴客数は県内第2位。でも、「小田の浜」を正しく読める人は少ない。「おだのはま」と読んだ人は不正解。正しくは「こだのはま」と読む。そろそろ亀山を下りて、大島の南端、龍舞崎(たつまいざき)へ行ってみよう。
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大島 龍舞崎
 亀山から10分、龍舞崎の駐車場に到着した。遊歩道を歩いて灯台へ行ってみよう。この遊歩道はアップダウンがあって結構きつい。途中の「馬の背」は、足を滑らせたら崖下の海に転落しそうでスリリング。15分弱で陸前大島灯台に到着。この日は波が静かで、沖には黒崎島が浮かんでいた。龍舞崎の次は陸前高田だ。

陸前大島灯台 写真

黒崎島 写真




高田松原津波復興祈念公園
 3時ちょっと前、陸前高田の高田松原津波復興祈念公園に到着。ちなみに、陸前高田の「高田」は、濁らずに「たかた」と読む。復興祈念公園の滞在予定は2時間だけ。時間に余裕がないので早速見学スタート。道の駅、津波伝承館、タピック45、追悼の広場、海を望む場、ユースホステル、奇跡の一本松の順に急ぎ足で見学した。
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道の駅 高田松原
 復興祈念公園の見学は「道の駅高田松原」からスタート。岩手県の道の駅としてはトップの集客力を誇る人気観光スポットだ。建物は津波伝承館と一体化し、向かって右が道の駅、左が津波伝承館である。外観はシンプルだが品があり、まるで美術館みたいな感じ。しかし、買い物には興味がないので、そそくさと津波伝承館へ移動した。
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東日本大震災津波伝承館
 津波伝承館は復興祈念公園のメイン施設で入館無料。見学に1時間は欲しいところだが、急いでいるので15分に短縮。展示コーナーを進んで行くと、津波に押しつぶされた赤い消防車が目に飛び込んできた。しかし、シアタールームの映像やガイドの説明を見聞することもなく足早に退館。これって、見学したことになるのかな?
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震災遺構 タピック45
 復興祈念公園には、奇跡の一本松をはじめ、5つの震災遺構が点在している。最初にタピック45へ行ってみよう。タピック45は「旧・道の駅高田松原」。震災前は観光情報発信の場として賑わっていたが、大津波に襲われて被災した。青空の下、タピック45の背後に横たわる氷上山(ひかみさん)が、西日を浴びてやけに美しかった。
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水盤
 タピック45の見学を終え、再び津波伝承館へ。津波伝承館の前には不思議な水盤がある。屋根の開口部から差し込んだ光が水盤を照らし、そこに樹木が影を落とす。みごとなデザイン、これはアートだ! 水盤から海へ向かって伸びる祈りの軸に導かれ、吸い込まれるように「海を望む場」へと向かった。
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追悼の広場
 水盤の奥には「追悼の広場」が広がる。石畳と16本のケヤキで構成された広場は、シンプルで清冽。心が引きしまり、津波で亡くなった方々の冥福を祈る気持ちが湧いてくる不思議な空間だ。陸前高田市の東日本大震災における死者・行方不明者は約1,800人。倒壊家屋は約4,000棟。高田の市街地は全滅状態となった。
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海を望む場 
 追悼の広場から防潮堤の階段を上って「海を望む場」に着いた。正面には献花台が置かれ、背後に広田湾(ひろたわん)の美しい海が広がっている。広田湾は、気仙沼湾や大船渡湾に比べて湾口が広く、ゆったりして穏やかな風景に見える。あの日、この湾に大津波が押し寄せてきたことなど嘘のよう。海は静かに凪いでいた。
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高田松原
 国の名勝「高田松原」は陸前高田のシンボルだ。震災前には7万本の松が群生していたが、津波に流され、奇跡の一本松だけが残った。その後、再生に向けて植樹が続けられ、2021年には4万本の松の植樹が完了した。ただし、松原がもとの姿に戻るには50年ほどかかるらしい。砂浜へ行きたいが時間がないので断念。箱根山(はこねやま)が西日を受けて美しい。
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震災遺構 ユースホステル
 ヒッチハイク、駅寝、野宿。これらの言葉を聞くと青春時代を思い出す。ユースホステルもその1つである。陸前高田ユースホステルは、震災の数ヶ月前から休業状態だったが、無残にも津波で倒壊。現在は震災遺構「陸前高田ユースホステル」として、被災当時のまま保存されている。秋の日暮れは早く、だいぶ日が傾いてきた。
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震災遺構 奇跡の一本松
 高田松原は10メートルを超える大津波に呑み込まれて流された。しかし、ユースホステルの建物が防波堤になり、1本の松が倒れずに残った。それが震災遺構「奇跡の一本松」である。奇跡の一本松は、白い月を眺めて何を思っているのだろう。夕暮れ時はセンチメンタル。一本松の周りには、もう誰もいない。そろそろ駐車場に戻ろう。
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大船渡温泉
 午後5時10分、大船渡温泉に到着した。温泉とは言うけれど、温泉街があるわけではない。海を見下ろす高台に、「大船渡温泉」と言う名のホテルがポツンと建っているだけだ。部屋は海の見える部屋、夕食は「漁師めしプラン」を予約しておいた。
 漁師めしプランの看板料理は、3日間煮込んでトロトロになったカジキマグロの兜煮。味はコッテリして濃厚。こんな料理はめったにありつけない。「兜煮のお代わりできますか」と聞くと、「どーぞ何度でも」とのこと。もちろん、お代わり。でも、これは失敗だったかな。胃袋に落ちる前に、胸のあたりで満腹感。他の料理を残してしまった。この満腹感と満足感は翌朝まで続いた。
 朝5時に早朝散歩。旅館のそばでカモシカと目が合ってニラメッコ。カメラを向けたら体をひねって逃げていった。大船渡温泉の見どころは、海から立ち昇る朝日。屋外の足湯に足を浸して日の出を眺める。しだいに空が明るくなってきた。おおお、海の色が変わってゆく。今日は船に乗って碁石(ごいし)海岸を遊覧するぞ。楽しみだ!

足湯 写真

大船渡湾の朝 写真 写真

朝の展望休憩室 写真

正面玄関 写真




碁石海岸穴通船
 旅行2日目も良い天気。8時40分、大船渡温泉を出発して碁石海岸の碁石浜へ。碁石浜には波で磨かれた小さな黒い石が堆積している。ちょうど囲碁の石のようなので碁石浜という。ここから碁石海岸を40分かけて遊覧する穴通船(あなとおしせん)が出航する。一番船は9時に出る。船は7人ほど乗れるが、乗客は我々4人だけ。
 船頭さんは日焼けして怖い顔だが、笑うと可愛い。船は小型の磯船。岩礁ぎりぎりまで近寄って行くので迫力満点。でも、船頭さんはあまり観光ガイドをしてくれない。結局、あれが碁石埼灯台、これが巾着岩、ここが穴通磯と、自分で自分にセルフガイド。クライマックスは穴通磯の洞門くぐりである。

穴通船の遊覧コース 写真

碁石浜 写真

船頭さん 写真

碁石埼灯台 写真

巾着岩(きんちゃくいわ) 写真

穴通磯(あなとおしいそ) 写真

名称不明の岩礁 写真 写真 写真 写真




碁石海岸レストハウス
 船で碁石海岸を遊覧したあとは、陸上から海岸風景を眺めてみよう。碁石浜から碁石海岸レストハウスへ車で移動。レストハウスは碁石海岸の観光拠点になっていて、近くには大船渡市立博物館・世界の椿館・インフォメーションセンターなどがある。遊歩道を歩いて、雷岩・乱曝谷(かみなりいわ・らんぼうや)展望台へ行ってみた。
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雷岩・乱曝谷展望台
 遊歩道の先には立派な展望デッキがあり、雷岩・乱曝谷を見下ろすことができる。高さ数十メートルの断崖絶壁。荒れた日は怒涛渦巻く怖い所らしいが、この日は波が静かで穏やかだった。向きを変えると、白波に洗われる海馬島(とどじま)が見えた。碁石海岸は海が荒れたくらいが迫力あって見応えがありそうだ。

雷岩・乱曝谷 写真

海馬島 写真




碁石岬
 レストハウスから碁石岬駐車場へ車で移動。駐車場から歩いて2分、東屋のある広場に出た。東屋は気仙大工の伝統技法を用い、釘を一本も使わないで建てられたそうで、どこか神社の建物を連想させる。東屋の奥には碁石崎灯台。さらに進んで階段を下りると碁石岬展望台。岬の沖には飛磯岩(とびいそいわ)が見えた。

東屋 写真

碁石崎灯台 写真

千代島 写真

碁石岬展望台と飛磯岩 写真




穴通磯展望台
 碁石岬駐車場から車で10分、穴通磯駐車場に着いた。辺りは森林。トイレがあるだけで他には何もない。未舗装の遊歩道をどんどん下りて行く。こりゃ、帰りの上りがきついぞ。5分ほどで展望台に到着。おお絶景だ! ポスターやパンフレットでお馴染みの穴通磯が間近に見える。みごとな自然の造形美。来た甲斐があった。
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気仙沼市街
 碁石海岸の次は気仙沼市内へ。三陸道を降り、魚町・南町に進入。昭和時代には気仙沼の中心街として賑わったエリアで、俗に内湾(ないわん)と呼ばれる。 懐かしい丸光デパート気仙沼店の跡へ行ってみる。すでに建物は解体され、跡地は駐車場になっていた。また1つ、昭和の思い出が遠のいて行く。
 港の近くには、「ないわん」と言う名の新しい商業施設が完成していた。津波被災からの復興の息吹は感じるが、街の建物はすっかり新しくなり、どこか落ち着かない。なんだか、知らない町に来たようだ。嗚呼、演歌が似合う気仙沼の街に、もう一度逢いたい。
 魚市場に隣接する「海の市」で昼食。浮見堂と五十鈴神社を見物し、太田歓楽街跡を通って復興祈念公園に向かった。太田歓楽街は、内湾が活気に満ちていた頃に栄えた飲食店街だが、寂れっぷりが凄い。住んでいる人には申し訳ないが、もはやボロ。廃墟である。
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海の市と魚市場
 内湾地区の街並みを観察しているうちに昼食の時間となった。昼めしは魚市場に隣接する「海の市」で食べよう。「海の市」はグルメとショッピングの観光施設で、シャークミュージアムと氷の水族館を併設している。せっかく魚の町に来たのに、なぜか全員ラーメンを注文。魚市場の屋上からは漁港を見渡せるそうだが、今回も時間がなくて寄らずじまい。

気仙沼「海の市」 写真

気仙沼市魚市場 写真




浮見堂
 食後は内湾に戻って浮見堂へ。浮見堂は1927年、気仙沼湾が日本百景に選ばれたのを記念して建てられたが、津波で倒壊。現在の浮見堂は2020年に再建されている。海上に設置された赤い欄干の回廊を進むと浮見堂があり、その先には恵比寿像がある。とにかく、赤い回廊が神秘的。外国人が見たら、Oh、ビューティフル! と驚くに違いない。
 浮見堂からは「お魚いちば」が見える。魚市場と名前が似ているが別物である。魚市場は気仙沼市の公設市場で、お魚いちばは阿部長商店が経営するグルメ&ショッピング施設だ。丘の上に建つプラザホテルも阿部長商店の経営で、お魚いちばとプラザホテルはエレベーターで往来できる。

浮見堂 写真

恵比寿像 写真

五十鈴神社への登り口 写真

お魚いちばとプラザホテル 写真




五十鈴神社
 浮見堂の回廊を逸れ、狭くて急な階段を上って五十鈴神社へ。階段の距離は長くはないが、危ないので足元注意。上りきると境内社の猪狩(いがり)神社が姿を現す。美しいフォルムだ! 心が高ぶり、すかさずシャッターを切った。この奥には五十鈴神社が鎮座している。古い木造建築を期待していたのに、コンクリート造りの社殿に拍子抜け。さっと切り上げて復興祈念公園へ向かった。

境内社 猪狩神社 写真

五十鈴神社 写真




気仙沼市復興祈念公園
 五十鈴神社から復興祈念公園までの道のりは非常に分かりにくい。直線で250mしか離れていないが、復興祈念公園は海抜57mの丘の上。一直線に登れる道などあるはずもなく、太田歓楽街跡の狭い道を通り抜け、丘を取り巻くように1,300m走って辿り着く。あれが復興祈念公園だな。公園の白いモニュメント「祈りの帆(セイル)」が見えてきた。

祈りの帆 ーセイルー 写真




復興祈念公園 伝承彫刻
 復興祈念公園には「祈りの帆−セイル−」のほかに、犠牲者銘板、伝承彫刻などが設置されている。伝承彫刻は皆川嘉博(みながわよしひろ)氏の作品で、「ごめんね」「よかったね」「海へ」「水をくみに」の4作が野外展示してある。どれも人物表現が素晴らしく、「ごめんね」や「水をくみに」の彫刻では、目の表情に釘付けとなった。

伝承彫刻「ごめんね」 写真

伝承彫刻「よかったね」 写真

伝承彫刻「海へ」 写真

伝承彫刻「水をくみに」 写真




気仙沼湾横断橋
 復興祈念公園は犠牲者への追悼と鎮魂の場だが、同時に見晴らしの良い観光スポットでもある。復興祈念公園からは三陸道の気仙沼湾横断橋が見える。愛称は気仙沼湾の別名「かなえがうら」にちなんで「かなえおおはし」と言う。全長1,344m、海上部680mの斜張橋で、夜はライトアップされるそうだ。橋の奥には大島が横たわり、写真左端には亀山が写っている。
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内湾
 復興祈念公園からは内湾(ないわん)の街並みが見える。以前はここから大島行きの船が出ていたが、橋の開通で定期航路が廃止され、寂しくなった。いま、桟橋に泊まっているのは遊覧船「ファンタジー」。港の前には新しい商業施設「ないわん」も完成したが、それでもやっぱり寂しい。この港が賑わっていた、あの頃を思い出して懐かしんでいる。
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鹿折
 復興祈念公園からは鹿折(ししおり)の市街地が見える。鹿折川を遡上した津波は、国道45号の北側まで達し、鹿折小学校は1階床上まで浸水。鹿折唐桑駅前には大型漁船が打ち上げられ、国道45号以南の街並みは壊滅状態となった。あれから12年、災害公営住宅が建ち、スーパーやドラッグストアも開業し、鹿折は復興に向かって進んでいた。
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道の駅 大谷海岸
 気仙沼の締めくくりは道の駅「大谷海岸」。2階の展望デッキで一休み。10月なのに、真夏のようにパラソルが開いていて、ちょっと違和感。でも、青空がきれいだ〜。1泊2日の気仙沼・高田・大船渡の旅は、両日とも天候に恵まれ幸運だった。もう、若くはない。あと何回、こんな旅ができるのだろう。帰途は道の駅「三滝堂」と道の駅「上品の郷」に立ち寄りながら、無事帰宅した。
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地理と地域旅行記>気仙沼・高田・大船渡