地理と地域旅行記
白桃夫妻と松島へ
制作:千本桜 歌麿
旅行:2024年3月
作文:2024年5月
公開:2024年5月7日
E-mail:tiritotiiki@gmail.com

 千葉県から白桃ご夫妻が訪ねてきた。目的は大河原の一目千本桜。ところが、予想より開花が遅れて桜はまだ蕾。急遽、行先を変更し、松島と定義如来を案内することになった。白桃さんと私は奇妙な縁で結ばれた地理仲間。地理のことなら、一晩かけても話が尽きない変わり者同士である。
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旅行コース
【1日目】
白石蔵王駅で白桃夫妻を出迎えて、白石の古い街並みを案内。大河原のカラオケ店で歌ったあと、ご夫妻をグリーンホテル大河原へ案内。
【2日目】
大河原を出発。春日PAで休憩しながら松島へ。ホテル大観荘で昼食。松島海岸を散策し、遊覧船で島巡り。松島を後にして、菅生(すごう)PAで休憩しながら、ご夫妻を遠刈田(とおがった)温泉さんさ亭へ案内。
【3日目】
遠刈田温泉を出発。滝見台に立ち寄り、川崎経由で定義(じょうぎ)へ。定義如来を参拝して昼食。ニッカウヰスキー工場を見学し、秋保(あきう)温泉の磊々峡(らいらいきょう)を散策。村田経由で白石蔵王駅までお送りした。

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松島へ
 2日目の朝、白桃夫妻が待つグリーンホテルへ行き、一緒に朝食をとる。今日の予定は松島見物。国道4号を通って岩沼へ。岩沼からは高速道路を走行。春日PAで休みながら松島海岸に到着した。車を松島公園第5駐車場に駐める。この駐車場は松島の中心部から離れていて、渋滞に巻き込まれる心配が少ない。しかも、きれいに整備されていて広々している。使い勝手の良い駐車場なので、私はよく利用する。それでは、松島の第一歩。ここで記念の写真を撮りますよ。

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渡月橋
 駐車場から雄島へ向かって歩きます。赤い橋が見えてきました。橋の名は渡月橋。陸と雄島を繋ぐ橋です。東日本大震災の津波で流失したが、架け替えられている。松島というと赤い橋をメージする人も多いが、それは福浦島へ渡る朱色の福浦橋の印象が強いからだろう。渡月橋も朱色だが長さ23mの小さな橋で、福浦橋のように人目につく橋ではない。そもそも雄島へ足を運ぶ観光客は少ない。渡月橋は、俗世と縁を切ることから「縁切り橋」とも言われています。

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雄島
 渡月橋を渡って雄島へ進入。中世の霊場だった雄島は、いたるところに板碑・岩窟が散在していて異様な感じがする。島の南端に六角形の鞘堂が見えてきた。鞘堂の中には国の重要文化財「頼賢(らいけん)の碑」が収められている。頼賢は見仏上人(けんぶつしょうにん)の再来とあがめられた僧侶で、碑は頼賢の徳をたたえて鎌倉時代の末期に建てられた。
 雄島は、松島の海や島々を眺める絶好のビュースポット。松島には260あまりの島があるので個々の島名は覚えきれないが、近くには二子島・福浦島・大黒島などが点在し、海上をヨットが帆走していた。私は海を見ると非日常の心地よさを感じるが、四国の海辺の町で育った白桃さんは、どんなふうに感じていたのだろう。
 雄島を南から北へ縦断。小さな島だから大したことはない。傾斜した散策路を足早に歩く。座禅堂・芭蕉句碑・松吟庵跡を通過して見佛堂跡に着いた。見佛堂跡は狭い平坦地で、岩窟群に囲まれている。「そこに立って」と、ご夫妻を促して記念撮影。背後には、岩盤をくりぬいた隧道がぽっかり開いている。あの隧道をくぐり、赤い渡月橋を渡って俗世に帰りましょう。どうでしたか? あまり知られていないが、雄島は神秘的な空間だったでしょう。雄島を後に、岩窟群や切り通しのある散策路を通って松島離宮へ向かった。

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松島離宮
 松島離宮は松島水族館跡地にできた新たな観光施設。華やかそうなので行ってみたいと思っていたが、今回はじめて訪問。さっそく中に入ったが、コンセプトが曖昧で、どこをどのように回ったらいいのか戸惑った。屋上と庭園を見たいが、そこは有料なんだとか。面倒臭い、もういい。この施設の正式名は宮城県松島離宮。民営なのに、県営施設であるかのようなネーミングは好ましくない。せっかく来たので、松島離宮の隣に建つ八角四阿の写真を1枚撮りました。

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大観荘
 駐車場へ戻り、車で大観荘へ向かった。大観荘は松島湾を見下ろす高台にある大型観光ホテル。団体専用を含めると、ランチ営業しているレストランが5店もあり、さらに日帰り入浴施設もあるので、館内は日中でも客の出入りが多い。見晴らしのよい7階のレストラン「潮騒」を希望したが予約客で満席。残念だが1階の和食処「天正」に入店。しかし、高台に建っているので見晴らしは悪くない。大きな窓の外には、きれいに手入れされた庭が広がっていました。

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五大堂
 昼食の後は松島の中心部を案内しました。民営の五大堂前駐車場に駐車。駐車場前の国道45号は松島のメインストリート。人と車で大混雑。中国か台湾か韓国か区別はつかないが、外国人旅行者がたくさんいました。こんなに賑わっている松島を見たのは久しぶり。五大堂島へ渡るための「透かし橋」が補修工事中で、五大堂へは行けない。でも、遠巻きに歩きながら五大堂を眺めてみた。天気は良好。五大堂脇の公園でベンチに腰掛けているご夫妻を記念撮影。

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瑞巌寺
 五大堂から瑞巌寺(ずいがんじ)へ向かって歩いた。沿道には飲食店や土産店がびっしり。瑞巌寺入口に到着しました。杉木立ちの参道が一直線にのび、右手には岩盤を掘った洞窟遺跡がズラリと並んでいる。いかにも瑞巌寺らしい風景だ。残念だが時間の都合で国宝の伽藍拝観はパス。隣接する円通院も素通り。陽徳院から裏道を通って松島さかな市場へ向かった。裏道歩きは私の特技である。
 松島さかな市場は、牡蠣を焼く臭いがして観光客で賑わっていた。さかな市場の隣には松島観光物産館と伊達政宗歴史館もあるが、こちらはそれほど混んでいない様子。ほかにも、この界隈にはザ・ミュージアムや福浦島などの観光スポットがありますが、時間の都合でカット。島巡り観光船に乗り遅れないよう観光桟橋へ向かった。

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観光桟橋
 松島に来たなら、島巡り観光船に乗るのが王道。観光桟橋には乗船を待つ人がいっぱい並んでいる。私たちは14時発の仁王丸に乗船。所要50分の遊覧だ。グリーン料金を払って2階の客席へ。船はビュースポットの島々を縫って航行しているが、写真を撮り忘れた。松島の次は宿泊予定地の遠刈田温泉へ向かうだけ。でも、ちょっと待って。五大堂と福浦橋を同時に写せる場所がある。「そこに二人で並んで」と促し、松島の旅を締めくくる写真を撮った。
 時刻は15時を過ぎている。今夜ご夫妻が泊まるのは蔵王山麓の遠刈田温泉。三陸道から東北道へ、高速道路を乗り継ぎ菅生PAで休憩。村田ICで県道に降りて遠刈田を目指した。途中で蔵王町平沢を通過。「ここは平沢です」と話すと、「伊達藩の要害だったところですね」と返ってきた。こんな集落のことまで知っているなんて、さすがは白桃さん。敬愛すべき地理仲間である。

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遠刈田温泉
 3日目の朝、白桃夫妻が宿泊している遠刈田温泉さんさ亭へ。今日もまだ一目千本桜は蕾なので、代わりに定義如来・ニッカウヰスキー・秋保温泉を案内することになった。遠刈田は宮城蔵王の観光基地。宮城県では秋保、鳴子に次いで3番目に宿泊客の多い温泉場です。温泉街はコンパクトにまとまっていて、昔はパチンコ店や映画館もありました。さらに、ストリップ劇場まであったらしい。それはともかく、定義如来へ向かって出発しましょう。

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定義如来門前
 遠刈田を出発し、蔵王の滝見台から不動滝・三階滝を眺め、青根温泉・川崎・長袋を経由して定義に到着しました。定義の名物は三角あぶらあげ。早速、定義とうふ店に入店し、分厚い三角あぶらあげに醤油と七味をかけて食べた。どう、美味しいでしょう! いつものことだけど、店から溢れた客は道端で三角あぶらげあげを食べている。なんだか面白い光景。これはきっと旅の記憶に残るよね。参道には7、8軒の店が張り付いて、小さな門前町を形成している。

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山門
 私は、三角あぶらあげを食べて定義如来の山門に立つとき、定義に来たことを実感する。この山門、迫力があるでしょう。もしかして、白桃さんは定義如来にそれほど期待していなかったかもしれませんが、良い意味で期待が裏切られたのではないでしょうか。山門は、彩色された仁王像を左右に配置し、楼門造りで独特の重みがあります。落慶は1932年(昭和7年)で、思いのほか新しい。
 この定義如来は正式名称を極楽山西方寺と言います。1706年に創建された寺で、開基は早坂源兵衛。そういえば、門前に店を構える早富旅館も、丸かん商店も、新茶屋も、苗字は早坂源兵衛と同じ早坂さんです。詳しくはわかりませんが、たぶん同族なのでしょう。
 かれこれ50年近くも昔の話ですが、門前の新茶屋という古い店で、明治生まれの地図の先生と心太をすすりながら、地図談義をしたことがあります。時代がかった山門前の、昔ながらの木枠の窓ガラスの新茶屋で、明治生まれの先生を相手に話しているうち、大正時代にいるかのような錯覚に陥りました。定義は時代を逆戻りさせてくれそうな雰囲気があります。今でも定義に来ると、新茶屋で地図談義をしたあの時にタイムスリップしたくなるのです。
 
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貞能堂
 山門をくぐって境内に入ると線香の匂いがしてきました。正面には旧本堂が見えます。この旧本堂は、新しい本堂ができたため、今は貞能堂(さだよしどう)と呼ばれています。本堂が別の場所に移っても、定義如来の中心は旧本堂の貞能堂です。参拝客がたくさんいましたね。振り向いて鐘楼と山門の写真を撮りました。なかなか立派なお寺でしょう。ちなみに、この地区の通称名は定義(じょうぎ)ですが、正式な住所地名は大倉字上下(じょうげ)です。

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大本堂
貞能堂(旧本堂)の次は大本堂(新本堂)へ行きました。1999年に完成した新しい建築物で、「おおほんどう」と呼ぶそうです。立派な建物ですが新しいためか、貞能堂(旧本堂)より御利益が薄そうな感じがします。令和3年度統計によると、県内における神社仏閣の観光客数は、1位鹽竈神社、2位竹駒神社、3位定義如来です。鹽竈と竹駒は初詣で客数を伸ばしますが、普段はそれほど観光客は多くない。それに対し、定義如来は春夏秋を通していつも賑わっています。

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五重塔
 大本堂の次は五重塔へ。五重塔は大本堂から東へ200mほど離れている。五重塔へは近道して裏から回り込むむことにした。途中で杉と雑木の林を通る。知り合いの写真屋さんは、この雑木林の紅葉を背景に五重塔を撮るのがいいと言っていました。五重塔に着きました。しかし、雑木林は紅葉どころか若葉もない。でも、晴れ渡った空がある。青空まかせに写真を1枚撮りました。
 時刻は12時半を回っている。どこかで昼ごはんを食べましょうか。近くに手打蕎麦「十里」という店がある。昼時なのに、すいてますね。この時間に空席だらけというのも怖い話だが、入店して蕎麦を注文した。食事の後は、関山街道の宿場町だった熊ヶ根を通って、ニッカウヰスキー仙台工場の見学に向かった。

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ニッカウヰスキー
 ニッカウヰスキー仙台工場に着きました。住所は青葉区ニッカ1番地。敷地の南を新川(にっかわ)が流れている。社名の「ニッカ」と川名の「にっかわ」。これは偶然の一致でしょう。ガイド付きの見学を希望したが先客でいっぱい。ガイドなしで見学しました。多くの観光客がいましたが、北海道のニッカウヰスキー余市工場に比べるとずっと少ない。
 ニッカウヰスキーの次は秋保温泉へ行きますよ。秋保へは愛子(あやし)経由で行くことにした。普通の人に愛子を案内しても始まらないが、そこは普通じゃない白桃さん。地理好きゆえに、愛子の街にも関心があるはずだ。変貌する愛子駅前に到着。その景観を見た白桃さん、「駅利用者は大河原駅より多いんじゃないかな」とポツリ。図星です! 愛子の街をひとめ見ただけで、そんなことにまで思いを巡らす人はめったにいない。かけがえのない地理友達です。

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秋保温泉
 秋保温泉に到着。ご夫妻には初めての秋保。県内最大の宿泊客数を誇る温泉地なのに、温泉街の景観が貧弱。草津温泉や城崎温泉は、街なかを散策する観光客で賑わっているのに、秋保は街歩きをする人がいない。里センターに駐車し、名取川の渓谷、磊々峡(らいらいきょう)を少しだけハイキング。旅館街に接しているのに、宿泊客は磊々峡を見ないで帰る。もったいないことである。帰り際、さいち商店で秋保名物「おはぎ」を買いました。

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白石蔵王駅
 ご夫妻は、17時57分発東京行きの新幹線で帰ります。秋保温泉から支倉(はせくら)・村田経由で白石蔵王駅へ向かった。支倉は支倉常長が幼少期を過ごした村。村田は古い蔵が建ち並ぶ小京都です。白石蔵王駅に無事到着しました。それでは最後に記念の写真を撮りますよ。
 3日間の旅はいかがでしたか? 一目千本桜は開花が遅れて蕾のまま。花見ができず残念でしたが、3日間とも好天に恵まれて幸いでした。一目千本桜はご夫妻が帰られてから10日以上も後に満開となりました。その時の写真をHPにまとめましたので、どうぞご覧ください。桜散歩 大河原〜船岡

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